新年おめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

昨年も多くの皆様と交流することができ、色々なことを見聞きし、お互いに影響し合うことができましたました。皆さんありがとうございました。

今年も年初にあたり気持ちを新にすべく、恒例となった「天の叫び地の怒り」の本とウイスキーを片手に、森の中のツリーハウスに籠もりました。

まず手始めに、薪ストーブに火を入れやかんをかけます。やかんが蒸気を吹き上げるのを待ってマグカップにウイスキーとお湯を注ぎます。

それから本を開き、原田誠治氏の文章をかみしめます。

「人間は経験を糧にして進歩する生き物だという。」

しかし、被災地の私達は進歩しているだろうか?自分達の都合を優先させ、その進歩すべきことを誤らせ、逆に進歩させるべきことの足を引っ張っているのではないだろうか?

震災からまもなく3年目を迎えます。人間は哀しい生き物です。過ぎゆく時を追うように記憶は薄れていきます。こうした時間の経緯も、経験を糧にしなければならないはずの、地域復興まちづくりの計画がぶれている一因になっているのではないでしょうか。良く考えなければなりません。

ストーブの内で炎がボーと連続音をたてています。そのうちに杉林がゴーゴーとなり響きました。続いてツリーハウスが乗っている栗の木が揺れるとギシギシ、ゴトゴト、キイキイ、コンコンとツリーハウスが騒ぎはじめました。5、6秒ほどだったでしょうか森は静まりまたもとのストーブのボーという炎の音だけの静寂に戻りました。

森が「今年も元気だぞー、今年も一緒にやろう、誰か人のために」といっているようでした。

立ち止まって考えても留まっていることは出来ません。次の行動に移らなければ地域も世の中も少しも良くなりません。

鍛造(ロートアイアン)燭台製作

半年ぶりに鍛冶作業をした。

11月4日に、宮古市出身の絵本作家の茂市久美子さんと他三名の方が訪れ、「風の電話」「森の図書館」についてお話をした。茂市さんは作家だけに各方面にわたって知識が豊富で、教えられることが多くあった。

2時間近くも話しただろうか、帰りしなに私の作っている燭台に目をとめ他の物も見せて欲しいと云うのでお見せすると、皆さんで写真の燭台を欲しいと言われ、4台の注文を受けることになった。何時までもほおって於かれないと思い12月に入り、鐵板や丸棒を切ったり、鍛造したり、溶接したりし更に磨きや、蜜蝋を塗って仕上げた。できばえは、私の物づくりのコンセプトである「100年は経過した」という感じが充分出ているものに仕上がっています。これらの作品は全て1点物として、心を込めて仕上げてあります。

それにつけても、力仕事は大変ですがベルガーディア鯨山の活動を継続するためにも頑張ります。茂市さんをはじめ宮古の皆様方ありがとうございました

 

松家圭輔展おわる

11月15日から12月6日まで開催していた松家圭輔展が終了いたしました。

期間中、各地、各方面から200名を超える人達に見ていただくことが出来ました、皆さん一様に透明感のある色彩の絵に感動しそれを共有することが出来ました。

今後、作品が増え次第ですが年1~2回展覧会を予定しています。松家君が絵で自立できるように応援できれば非常に嬉しいことだと思います。また、私自身も70才を目の前にして、体力的に力仕事は無理が効かなくなっていますので又、絵描きの世界に戻ろうかと考えております。

何時の日か松家君と二人展をベルガーディア鯨山「森の図書館」ギャラリーで開催できればこの上ない喜びだと思っています。

この度は、遠いところ駆けつけてくれた皆さんに心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

尚、12月8日からは「森の図書館」にて世界のクリスマス絵本展が開催されます。いろいろな国のクリスマスの様子を絵本で楽しむことが出来ます。どうぞご家族で見に来てね!

 

森の図書館コンサート

11月25日、ベルガーディア鯨山「森の図書館」に於いて、チェロとピアノのミニコンサートが開かれた。

チェロ奏者は、北海道在住の土田英順氏、被災して主を失ったチェロを修理し、各地で200回以上コンサートを開催している。ピアノの鳥居はゆきさんは土田さんと共に演奏活動を続けている無くてはならない相棒だ。

エルガーの愛の挨拶に始まり、クラッシックの名曲の数々から子どもたちの大好きなアニメソングまで、時節がら雪の降る町をや日本の歌曲等90分にわたり演奏された。

当日は、大槌「里親の会」や「この指とまれ」の子どもたちが招かれ、大槌出身の歌手佐藤ひろみさんや、女優であり脚本家・詩人の近衛はなさん等といつしょに楽しんだ。

 

最近涙した風景2題

晩秋のガーデンの一隅に佇む電話ボックス。ある日、ご年輩の三人連れが風の電話を訪れる。私は気が付かないでいた。妻から誰か来ているよと聞かされ、後で上にあがって来るものと思っていた。

ややしばらくしても誰も来ないので下に下りてみた。しかしそこには誰もいませんでした。おかしいな・・・・と思いながらボックス内のノートを見ると、そこにはひと言

「勝也早く家に帰ろう 父母、祖父母」

とありました。それを目にした瞬間に文字がにじんで見えなくなってしまいました。震災で息子を亡くし、未だ遺体が見つかっていない方だったのでしょう、せめてお地蔵様を渡してやりたかった。このようにひっそり来て、ひっそりと帰っていく方の悲しみは深い。

もう1題は、今日で3回来ました、「やっと電話することができました」とノートに記した方。いつもなら訪れた方を案内しながら話をするのに、その日は別の来訪者もありその方を一人にしていた。

身体の大きな男性で、風の電話ボックスで黒電話をにぎりしめ、あたりはばからぬ大声で話している様子。しばらくそおっとしておいたが、いつまでも電話ボックスから離れないので、そばに行きどうかなされたのですかと尋ねると、男性はポツリと「妻を亡くしました」・・・・。

もし必要なら、お地蔵様プロジェクトよりお預かりしているお地蔵様をお渡ししますがと話すとうなずき、カフェでお茶を飲んで行かれた。ノートには「やっと電話できました、残りの人生はふるさとの再生につとめていきます、その時、胸をはって会いにいきます」と記してありました。

これもまた何度来ても電話をとれない、入る気持ちになれない等など心の復興には個人差が大きく、まだまだ静かに寄り添って「大丈夫だよ」と声をかけてやらねばならない方が大勢いる、常にこころせねばならない。