「風の電話」奄美大島との絆

去る8月31日、奄美大島から1台赤いダイヤル式の公衆電話機が届きました。1960年代に10円玉をいれてかけた電話です。今の若い人たちには分からないかと思いますが、我々年代には懐かしい代物です。

24時間テレビを観た、奄美大島の元NTT職員だった保宣夫さん、「風の電話」が被災者の精神的支えになっている取り組みを知って、自宅に保管していた電話機を、被災地のお役に立てればと連絡をしてきました。

「風の電話」は震災から8年経った今でも多くの方々が訪れ、電話ボックスで静かに逢えない人と対話を続けています。世間的には、電話ボックス内にはダイヤル式の黒電話が1台とノートがあり、電話線は何処にもつながっていないと知られています。赤い電話機ではイメージが崩れかねません。ですから、そこで断れば「そうですか」と終わってしまいます。が、私たちは震災で「絆や縁」の大切さを学びました。遠く離れた奄美との「縁」を大事にしたいと思いました。それで「頂きます」と返事をしたのです。

その後、保さんは新聞社に連絡したのだそうです。「奄美新聞」と「南海日日新聞」からこちらにも連絡があり、「本音は迷惑でないのか」とか「東日本復興支援に奄美が関係できて良かった」というお話を頂生きました。

昨年、交換した古い電話ボックスをガーデンのオブジェとして、キッキの森に置いています。神奈川から訪れた方が、「『風の電話』に来たのですが電話機がないのです」・・・・と電話をかけてきました。「すみません本物は下の方にあります。そちらをご利用ください」。おかしかったと言ったら失礼ですよね。  また、絵本「かぜのでんわ」では赤電話が描かれています。これらのこともあって、全てのことを含んだ上での「縁」であると思っています。ありがとうございました。

24時間テレビ「風の電話」

今年の24時間テレビも感動的な番組が多くありました。視聴率、マラソンの放映で瞬間ですが40%近い数字も出ています。「風の電話」は、と言いますと18%と少し下がりますが、それでもすごい数字なんだそうです。

多くの方から感動した、涙が止まらなかったの声を頂きました。「『風の電話』の今までの放送をすべて見ているが、一番良かった」との声も何件かありました。プロデューサーの池田さんが3ヶ月かけ制作した作品が、多くの人に認められた結果だと思います。それにしても、北上の藤沢さんの「伝えたくても伝えれない人へ」は多くの人の心をわしづかみにしたのではないかと思います。やらせを排除し、とことん真実を追求した姿勢が大きな感動を呼ぶのだという、良い例だろうと思います。

人は皆自分の人生において、自分の物語を創出し、それを生きていると考えることができます。そこには、愛する家族がいたり、恋人や友人、知人が登場します。夢や希望を持ち豊かに生きるための物語です。そして、最愛の人を失ったとき、物語はそこで中断されます。夢や希望が断ち切られることになります。突然の中断に遺された人は、自責や後悔の思いに苦しんだり、混乱し現実感の喪失を味わったり、泣けてなけて仕方なかったりとグリーフに圧倒されます。    抱えきれないほどの精神的な辛さがあっても外に出るのも、人に会うのも厭で引きこもるようになる人もいます。

最愛の人を失った時、遺された人の悲しみを癒すのは、その人の持つ感性と想像力なのです。人間には失われたものを回復しょうとする精神の営みがあり、癒しには、亡き人に再びつながれるという想像の世界を通じて、新たな未来を創出する必要があります。

「風の電話」ボックスでの話すこと、今は亡き人とコミュニケーションを取ろうとするとき、混乱し断片的な思考回路に陥っている考えを、会話言葉として整理し話さなければなりません。自問自答は、言葉にすることで自分の考えを整理できます。自分自身に語り掛けることは、即ち、自己の発見であり、自己意識が言葉という形で現れます。それは、自分が何を悲しみ、何に怒りを感じ、何を心配しているのか明らかにしてくれます。そして、自問自答はそれまでの物語の振り返りと、新しい物語の続きの創出につながるでしょう。それら一連の行為は、断ち切られた日々を一瞬でも取り戻すことになり、遺された人たちにとっては物語の新たな展開を意識しなければならず、新しい物語の創出に生きる力を得ることが出来ます。これが「風の電話」にによるグリーフから意識の向け換えが出来ることなのだと考えています。

北上市の藤沢さんが「風の電話」で、辛かった胸の内を吐き出したことで新たな物語の創出につながり、新しい家族が希望を持って生きて行かれることを祈っています。

「風の電話」の番組を感動的にしたもう一つの要因として、映像をバックに「千の風になって」を歌った秋川雅史さん、今まで聴いたどの千の風になってよりも良かったと感じました。本人が「風の電話」の前で歌ったなら、まだ感動的なものになったことだったでしょう。

上の写真は、インタビューが終わり羽鳥アナウンサーと記念のツーショット。番組では、羽鳥アナウンサーが涙をこえての司会も感動を与えるものでした。今後とも、「風の電話」に対する皆様の温かい共感を宜しくお願い致します。

8月25日24時間テレビで「風の電話」放送

日本テレビ、今年の24時間テレビは8月25日に放映されますが、ここで、3カ月かけて製作された「風の電話」が紹介されます。

放映前なので写真の紹介は止められていますが、「風の電話」に共感されている皆様に是非、お知らせしたくブログにアップいたしました。時間はまだ定かではありませんが午前9時45分ごろからの予定とのことです。(変更の場合あり)今までのメディアでは見られなかった感動が味わえるかと思います。

30数年ぶりに絵筆をとる

長らく遠ざかっていた油絵を、30数年ぶりで1週間で3.点描き上げた。

20代の頃から始めた油絵だったが、40代初めから新規事業に関わり、寝食を忘れて没頭した。自分がサラリーマンだということを忘れていた。その頃から絵筆は遠のき、あれほど楽しみにしていた写生にもいかなくなった。思うに、あれもこれもという器用さはなく、一つのことに集中するタイプなのだろう。

54才でサラリーマンをリタイヤした後、自分の田舎づくりに邁進しベルガ―ディア鯨山を拓き、オープンガーデンを始めた。ほどなく、東日本大震災が発生し、12年間開拓してきたガーデンの環境を活かした活動として「風の電話」を設置し、亡くなった大切な人へ想いを伝えることにより絶望を生きる希望に変える心のケア活動をしている。

70才になった頃から絵を描きたいという気持ちが再び湧き起ってきた。しかし、以前のように描けるか不安もありぐずぐずしていた。昨年の暮れ絵具やオイルを揃え、準備だけは整え何時でも取り掛かれるようにしていた。しかし、すでに体力的に無理のきかない74才になっていた。今を逃したら後の人生で絵筆を持つ機会はないのではないかと思った。

被災地は今明るい未来像を求めている。明るい未来は夢を見ることからはじまります。明るい未来像を描くにはその推進力となるものが必要となります。文化や芸術にはその力があります。その力をまちづくりに届ける必要があります。音楽に関しては多くの方の支援を受けていまでも盛んです。一方、絵画に関してはどうでしょうか、かって現代美術の須藤美術館の支援で絵画のワークショップなどを開きましたが4年ほど前から途絶えています。絵画の芽を なくしてはならない、何とかしなければと考えています。どなたか協力出来る方はいませんか。

写真上から F15号「風の電話のある風景」、 F15号「工場風景」、F6号「ベルガ―ディアから海を望む」