ローマ教皇と宮沢賢治の教えてくれるもの

今朝、今シーズン初めて雪が降りました。と言うより夜半のことであり寝ている間に降り、朝目覚めたら7,8㎝積もっていたのです。今の時期としては珍しい積雪です。今日は、雪にちなんで綺麗な話をと思います。

ローマ教皇フランシスコは、東日本大震災の1カ月後、ワシントン大聖堂で世界の宗教の代表者を集め、犠牲者の追悼と復興を祈念するミサを行い最後に宮沢賢治の「雨にも負けず」を朗読しました。

そのローマ教皇が昨年11月25日東京カテドラル聖マリア大聖堂にて、世界中で社会問題化している孤独、つまり「心の貧困」についてマザー・テレサの「孤独と誰からも愛されていないという感覚は最も残酷な形の貧困である」という言葉を引用して次のような話をしています。私たちにとって最も大切なことは「何を持っているか」や「何を得ることが出来るか」ではなく、誰と人生を共有できるかということに気付くべきだと話す。 つまり、「何のため生きるか」ではなく「誰のために生きるか」にフォーカスすべきだと言っています。教皇が訴えたかったのは、「他者のために」「他者と共に支え、支え合って」生きることの大切さです。   

教皇のスピーチから思い起こされるのは岩手が生んだ天才宮沢賢治のことです。賢治の信条は「誰か他人のために」でした。賢治は、毎晩寝る前に母親イチさんから言い聞かされたという「母の教え」がありました。母イチが何度も賢治に繰り返した言葉は「人というものは人に何かしてあげるために生まれてきたのです」という言葉でした。この様にして賢治は「利他精神」に基づく独自の価値観を築き上げていった。「自己犠牲」や「利他精神」は、賢治の沢山の作品を貫く大きなテーマであると言えます。それは、幼いころからの賢治の生き方そのものであり、「人のため自分は何が出来るか」「本当の幸せとは何か」ということを生涯考え続けたのでした。

何のために生きるか・・・・。東日本大震災では、生きたくても生きれなかった人が大勢います。そう言う事実があるということは「人の生死」は自分の意思とは関係のない力が作用していると考えることが出来ます。つまり「生きる」ということは生かされていると捉えるべきで、そう気付かされる時「誰か人のために」という「心のよりどころ」を生み出す生き方が出来るのではないでしょうか

では「死ぬ」ことは自分の意志で出来ると言えるだろうか。いや違う!失職し経済的に困窮したり」「愛する人を失いグリーフを抱える」などの状況にある人が、「誰も自分の辛さを解ってくれない」「気持ちを汲んでくれる人がいない」と孤立する。その結果として、現実の社会に生きづらさを感じ自分の命を絶つという経緯を考えれば、まわりとの人間関係の希薄さが命を絶つことにつながっている。いわゆる、他人との関わり方が作用して死を選択していると捉えることが出来る。つまり、死ぬことも自分の意志でなく、他人の関わりに影響されていると言える。

「生きる」と「生きている」は全然違うことであり、生きることは他のものとの関係で成り立つことです。自分と誰か、また何か。 生きることは誰かとつながることであり、誰かの役に立つことです。誰かとつながることで、生かされていると言い換えることが出来ます。人は皆、生まれて今まで一人で生きてきたという人はいません、必ず誰かとの関わりの中で生きています。生かされています。この事実を決して忘れないようにしなければならないと考えます。

宮沢賢治の世界 ―野口田鶴子ひとり語り―

今年の賢治祭(9月21日)にご招待され、朗読をされることとなりました野口さん、22日は大槌に立ち寄り、ベルガ―ディア鯨山「森の図書館」にてひとり語りをされることになりました。

野口さんとは2016年からのお付き合いで、宮沢賢治イーハトブ奨励賞を私が15年に受賞し、野口さんが16年に受賞しました。その際、副賞に頂いた賞金全額を自分は使い道がないから,大槌宮沢賢治研究会で使ってくださいと寄付されたのが契機となります。丁度、研究会では大槌と関係のある憲治の詩碑を建立する計画があり、申し出を有難く受け入れました。それがご縁で研究会の会員にもなり、今回の朗読会にこぎつけたわけです。

賢治さんの縁は不思議なもので、以前には京都の浜垣誠司(ブログ宮沢賢治と詩の世界)さん。大槌と詩「旅程幻想」の関わりを私のブログで発信したところベルガ―ディア鯨山をたずねられ、研究会の会員になられています。

また、今年8月25日「盛岡宮沢賢治の会」16名がベルガ―ディア鯨山を訪れています。その中に、2018年の宮沢賢治奨励賞を受賞した森三沙さんがいました。帰りがけに「私も大槌の研究会に入れてくれ」と話され、会費まで払っていかれました。うれしいですね!

今後、どのような展開になっていくのか皆目見当が付きませんが、何かワクワクする気配を感じます。とりあえずは22日の野口田鶴子さんのひとり語りを皆さんと楽しみたいと思います。

日   時:2019年9月22日    PM16:00~17:00

場   所:ベルガ―ディア鯨山 森の図書館

プログラム:祭りの晩、無声慟哭3部作、ちゃんがちゃがうまこ、暁穹への嫉妬、旅程幻想

入 場 料:無料

3・16 宮沢賢治の詩碑「旅程幻想」除幕式

除幕式が無事済ませることができました。これもひとえに皆様方のお陰様です。今、ホッとして鼻歌を歌いながらブログを書いています。屋外の式典のため天候には最大の気を使いました。予報では曇りのち雨、式典も雨になった場合の話し合いに時間を費やしました。

しかし、当日は晴れ!屋外の場合天候次第で八割がた成功が約束されたようなものだが、式典はそれを何十倍も上回る感動的なものでした。詩「旅程幻想」の朗読、慰霊の尺八演奏、エルシステマジャパン大槌の子供たちによるバィオリン演奏、金澤神楽舞等々、宮沢賢治の詩碑でありますが、我々賢治研究会の建立の想いその精神を理解するならば、大震災で無念の思いでなくなった方々にとっては慰霊の碑であり、これからの子供たちにとっては賢治に触れる機会となになり、災害を語り継ぐ記念碑になると考えています。そうした思いが出席者全員にに伝わり感動となり涙ぐむ方もいました。

詩碑も出席者の感動を呼ぶ重厚な仕上がりであり、これから大槌の交流人口の拡大の要として大槌駅と共に皆さんに愛されていくものと思います。計らずも、一基目の詩碑「暁穹への嫉妬」が宿泊施設であるホテルの海を望む場所に建立され、今回二基目の詩碑が旅する人々の玄関口、大槌駅舎となりに建立されたということはこれからの我々の活動を暗示していると見ることが出来ます。元より、詩碑が完成したから終わりではなく、これは新たな始まりだと考えていますのでこれからの活動は、イーハトーブ三陸海岸を結ぶ各市町村と連携し、全国の賢治フアン及び生き方を模索している人たち、また国連のSDGs(エスディジーズ)の精神『誰も置き去りにしない』ということは、賢治さんの言う「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」とする「みんなで幸せになろう」ということと同じだと考えています。これらに共感する人たちをテーマ性のある新たな周遊ルートを開拓し、賢治の三陸紀行を追体験すると共に地元の者でなければ知り得ない事柄を紹介するツアーを考えています。

 

間に合いそうです

詩碑建立も台座に詩身の石がセットされ、詩文が刻まれた黒御影石が嵌め込まれました。写真は接着のため発砲スチロールで詩文を保護し、ベルトで固定しているところです。私もまだ見ていません。

真ん中の写真は、裏側の台座部分でクラウドファンディングで5万円以上の方々の返礼品としてお名前を刻むという約束通り、刻印して取付たものです。

下の写真は詩碑建立の趣旨を刻んだものです。これは宮沢賢治の詩碑ですがその趣旨をご理解いただくならば、無念のちに亡くなられた方にとっては慰霊の碑となり、これから生まれてくる子供たちにとっては賢治にふれる機会となる記念の碑になると考えています。これら2基「暁穹への嫉妬」「旅程幻想」の完成は我々大槌宮沢賢治研究会活動の終わりではなく活動の始まりにすぎません。賢治の「利他の精神」を道標に、被災地のみならず世界中,korekaraすべての人びとはどう生きなければならないかの追求と、イーハトーブ三陸海岸のテーマ性のある周遊ルート開発、それらを踏まえた交流人口の拡大を図っていかなければ、三陸の被災地が再び甦ることはないだろうと考えます。全国の賢治ファンの皆さんどうぞ我々の想いをご理解の上三陸にいらして下さい、お待ちしています。

宮沢賢治詩碑建立工事の進捗状況

写真上から、設置場所に捨てコンを打ち、鉄筋を組み、型枠を取り付けコンクリートを流した状態。4日ほど置いて型枠を外した状態。黒御影石がはめ込まれる凹みも見られる。碑身に碑文を刻む黒御影石を嵌める凹みを手作業で加工している。台座下部に接着される自然石。自然石を切り出し作業。台座上部に取り付けられる磨き白御影石。下の2枚は碑身及び台座の凹み部分に嵌め込まれる黒御影石の磨いたもの。

それぞれの場所で各作業が行われており、3月8日に25トンクレーン車にて現場の台座に碑身を設置、その後に各パーツの接着取付となります。これから碑文及び副碑文の刻印になりますので文章の慎重なチェックが必要となります。

全て設置が終わった後、研究会メンバーによる台座周りに芝生と銀どろの木を植えて「旅程幻想」詩碑建立が完成となります。只、ホームセンターに芝生の入荷次第になりますので、場合によっては芝生は後作業となる可能性があります。イメージをして作業を進めているのですが、実際できてみなければイメージ通りかどうかわからないところもあります。皆さんのご期待に副うものであれば良いのですが。