盛岡市立図書館にて読書週間記念講演会

岩手の読書週間記念講演会ポスター

当日は、「風の電話」を通して見た生と死について、「風の電話」でグリーフケアとは、森の図書館で感性を育み想像力を育てる。また、大槌宮沢賢治研究会活動についてお話いたします。御用とお急ぎでない方は、是非、盛岡市立図書館まで足をお運びください。お待ちしています。

 

 

 

 

またまた強風被害

咋日夕方から強風が夜通し吹き荒れた。朝になり周囲を点検したところ異常はなく一安心していた。というのも、10月7日の台風25号、瞬間最大風速33,8m/時でキッキの森の栗の木が折れ隣家の庭のフエンスを破損してしまった、修理の保険金支払いも済んでいない状況にあったが、12月13日に長野のツリークライマー小林清さんを頼み枝を伐採してもらったばかりだったからだ。

朝になっても強風は収まらなかったが、私は庭の松の選定をしていた。風で揺れる松の木にしがみつきながら「ちょっと問題あるな」と感じていた。11時頃、妻が「大変」と小走りにやってきて「杉の木が折れて電線に寄りかかっている」と話す。またかと思いながらキッキの森にいってみると、防集団地の道路側に直径20㎝ぐらいの杉が地上2.5mぐらいで折れ電線に倒れ込んでいた。道路を通行中の車もあり、すぐに消防署に通報した。しばらくして町役場の車が来た、それから消防車がサイレンを鳴らして到着、電力会社のパトロールカー、次いでパトカーが来て、救急車までやってきた一大事件である。

それから2時間ほどして電力会社の作業車が到着した。周囲に停電の連絡をとった後、木の除去作業を開始した。

作業に要した時間は10分、通電の連絡をして15分。全ての作業は終わったが20m程の丸太が1本残った。風が吹くたびに心配の種が尽きない状況も困るので115本の杉の木を全部伐採することにし森林組合に連絡をとり見積もりを出してもらうことにする。それにしても、元々辺り一帯が杉林だったのが開発により回りの杉が伐られ、家々が建った。残った我が家の杉が風当たりが強くなり影響を受けることになり、伐採しなければならなくなるのはどう考えても理不尽だと思うが、そう思うのは間違いなのだろうか?

レディーフォーでクラウドファンディングのプロジェクトを始めましたご支援よろしくお願いいたします!

1925年(大正14年)1月5日、雪の花巻を東北本線最終列車に乗った宮沢賢治は八戸駅で八戸線に乗り換え種市へ、・・・・4泊5日のイーハトーブ三陸海岸の旅が始まった。この旅で花巻出発前に詠んだ「異土への出発」をはじめ「暁穹への嫉妬」「発動機船Ⅰ、Ⅱ,Ⅲ」「旅程幻想」「峠」の七編の詩を詠んでいます。

私の住んでいる大槌町と関係ある詩は、薔薇輝石を詠んだ「暁穹への嫉妬」と大槌川原で詠んだ「旅程幻想」の二つがあります。

東日本大震災後、被災地に生き残った我々は無念のうちに亡くなった方々や、これから生まれてくる子供たちに「どう生きなければならないか示す責任がある」と考え、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」の基、「利他の精神」を道標として、またそれらの活動を可視化するとして二つの詩碑建立を計画しました。

2016年「暁穹への嫉妬」を、日の出を望む浪板海岸花ホテルはまぎく駐車場わきに建立しました。二基目となる「旅程幻想」の詩碑は、新しくなる大槌駅舎わきに建立することになりました。

将来的にはこれらの詩を結ぶ久慈から釜石まで、テーマ性のある新しい周遊ルートを開発。我々のガイドで全国の賢治フアンを、謎の多いイーハトーブ三陸海岸旅行を追体験する企画の提案を行い、被災地の交流人口の拡大につなげ、文学による心の復興を図っていきたいと考えています。詳細は下記のURLをご覧ください。

https://readyfor.jp/projects/kenji-shihi

冬ごもり準備

霜が降りる前にと白菜,キャベツ、大根の収穫をしました。冬の寒さのせいもありますが、もう一つの大敵 鹿が防護ネットを押し、これらの野菜を畑の端の方から食べ始めたからなのです。我が家の冬季間の備蓄食料を食べられてはかなわんと収穫したわけです、

ガーデン内の畑は春のジャガイモ、キャベツ、大根、ネギに始まり夏野菜のキュウリ、トマト、ナス、ピーマン、レタス、夕顔、カボチャ、スイカ、枝豆、きぬさや、いんげん、バジル、シソ、春菊等々それにベリー類を入れると年間40種類ぐらい生産していることになります。従って、我が家の食糧自給率は20~25%ぐらいになります。そのため冬はジャガイモ料理やダイコン、ハクサイ料理が多くなります。それに今年からはキッキの森で取れたクルミの実を毎日、毎食後食べるようにしています。そして、最近はクルミをリスのようにきれいに簡単に割れる冶具を考案中です。このクルミを暖炉の前で火にあたりながらほじくり食べる。ここ白石遺跡で4500年前縄文人が暮らしていた生活に少し近づいているかなと思っています。

何のことはない、ベルガ―ディア鯨山で「地図にない田舎づくり」をしていますが、生活そのものが私の考える田舎暮らしになってきているのです。(誤解のないように、今の田舎は非常に文化的な生活をしていることをお断りしておきます)薪を暖炉で焚き、裸火を見ながら身も心も暖まるこの生活が後何年出来るだろうか。縄文人も見たであろう日の出を後どれぐらい眺められるのだろうか。目の前には高速道路が通り、後ろには防集団地ができ、地下水が枯渇し新たに24メートルもボーリングしなければ地下水が飲めない現実。自然環境も大分変ってきた。そんな中、ベルガ―ディア鯨山の「地図にない田舎」はこの冬も自分流の豊さを十分に楽しんでいこうと思っています。

今年もイクラづくり

12月4日、所用があって宮古に行きました。帰りに魚菜市場に寄ってみると、年末らしく新巻き、生イクラ、アワビ、ホタテ等が各店ごとに並んでいます。

生イクラは昨年よりも安くキログラム当たり6800円、昨年は10000円位したと思う。メス鮭が1尾6000円程で売っていたので手間はかかるがお得だと思い、自分で「しょうゆイクラ」を作ると買ってきた。家に帰るなり「さぁーつくるぞー」と包丁片手に鮭の腹を割ると、膜に包まった生子が二腹、二つで1000キログラム程あり、思った通りと笑いが自然と出てきました。生子を膜から外すべくラケットでしごきバラバラにして、人肌の温度の塩水で3回洗い水切りをしました。

次に清酒を熱し、火を付けアルコール分を飛ばし、それに醤油を60度ほどに温めたものを混ぜ漬け込み液を作り、覚ました漬け込み液を容器に入れた生イクラにかけ一晩取り置きすると出来上がり。美味しいイクラご飯が食べられます。(このレシピ―は日本料理店より教わる)

どうですか、食べたいと思うでしょう。まだありますよ。何でも自分で作って食べるものは美味しいものです。