ベルガーディア鯨山の「地の神」さん

16年前、この土地に住みはじめて間もなくのころ、誰か忘れたが「その土地とちには地の神さんがいるものだ」ということを話す人がいました。

それなら自分の土地の神様にはゆっくり休んでもらおうと石の祠を2個買い求めました。1つは、鯨山(標高610m)にある京都は八坂神社牛頭天王を祭っていると言われる場所へ納めました。

今まで深く考えずに気付きませんでしたが、なぜ鯨山に牛頭天王が奉られているのか?鯨山の名前の由来を辿れば、そこには昔疫病が流行し、大槌で獲れる鯨の肉を食べると病気に効くということで隣町の山田から民衆が「鯨くじら」と言いながら山を越えて来たといいます。それでその山を鯨山と呼ばれるようになったといわれています。その頃に疫病の神さまといわれる牛頭天王をそこに奉ったのではないかと考えられます。

当時その場所は、大きな岩(3メートル四方)の上に岩の欠片のような石が3枚だけありました。鯨山の電波塔まで車で行き、そこからネコ車に祠を積み設置したことは今は遠い思い出です。

もう1つの祠は、我が家の裏庭の一隅(当時は我が土地で1番高い場所)に手で動かせる程度の石を集めその上に祠を据えました。以来そのままになっていましたが今回、「木っ木の森」に散らばっている石を集め、コンサート用のステージを造ろうと思い立ちました。

小さなバックホーで作業はじめたのですが、200kgぐらいの石を動かしているうちに「待てよ、まづ地の神さんの祠を見栄え良くしてからだ」と考え直し、先に神さまのお休みどころをリニューアル完成させたのです。

工事の最中、これも以前造って置き忘れ、小石に埋もれていたお地蔵さまが出てきました。「今までそまつにして申し訳なかった」と良く見ると・・・・・なんとお地蔵さんのその格好が五郎丸の例のポーズそっくりで、驚くとともに新たに居場所を確保し、謹んで据え付けいたしました。

ひとつの行動がいろいろ連動していき思わぬ驚き、感動に繋がることは良くあることで、毎日生活していて楽しくまた、生きている喜びに感謝している今日この頃です。

海のない岐阜との「縁」

去る11月20日、岐阜県大野町のばら生産農家、青木宏達さんを訪ねました。今年の3月に「アンネのバラ」の苗木を贈ってくれたお礼と感謝の気持ちを伝えるためです。贈られたバラは、「風の電話」の前に植えられ花をいっぱい咲かせ、電話に来る方がたの心をやさしく癒しています。

又、アンネ・フランクと同じように逆境に負けない強い気持ちを、被災地の皆さんに無言のうちに語っている様子などをお話ししました。

青木さんは、県ユネスコ協会の会員で30年前からオランダからユネスコ協会を通じて来た1株を途絶えさせまいと、接木をして育てています。今まで200株以上各地に贈っていると言います。しかし、その後はどうなっているのかはほどんと分からないといいます。

今回の対面は、岐阜中部学院大学のシンポジュームでの講演依頼された事により、バラ苗を届けてくれた岐阜市のカメラマン、三浦寛行さんに連絡を取り実現したもので、バラが架け橋となり、新たな出会いが生まれました。

又、5年目を迎えようとする今でも被災者の現状を把握し、必要な物費を集め三浦さんに届けてもらっている、金森貴彦さんという床屋さんの存在も知ることができました。シンポジュームもさることながら、青木さん、金森さんにお会いできたことに、この地にも宮沢賢治の精神である「誰か他人のために」を実践している人がいると深く感動いたしました。

講演の中でもご紹介しょうと思っていましたが、時間オーバーとなりストップがかかり、後ははしょって〆てしまい紹介できずじまいになりました。この場をお借りして皆さんにお伝えいたします。

キッキの森の異変

キッキの森にある一本の「梨の木」。2年前に子供達の遊び場の開拓時に、危うく伐採されかけ一命をとり止めた木です。昨年も、何個かいびつな小さい実をつけていました。

大きさ、形からてっきり山梨だとばかり思っていました。そして、森を訪れた人に宮沢賢治の童話「やまなし」に出てくる山梨ですと話していました。

今年も同じようにいびつな小さい実が15~16個実り、段々元気になってきたなと感じていました。。しかし、落下しなくなってしばらくした今日、写真のような直径8cmと6cmの2個の梨が木の下にころがっていました。

えっ!・・・・思わず梨の木を見上げました。もしかしたらと言う思いは無かったわけではありませんでしたが、この大きの実を見ては、賢治の「やまなし」を語ることは出来なくなってしまいました。(皆さん、すみません間違っていました)。

残念だという思いとしかし、これは肥料をやれば立派な梨をつくれるようになるのではという現実的な思いが起きてきました。「どうやら品種は長十郎のようだ、あとは味見だ」と早速割って食べてみました。・・・・「うまい!これはいける」。頭の中は既に寒肥料を施す作業が始まっていました。

キッキの森に揺れるブランコ

キッキの森に素敵なブランコが揺れています。ツリーハウスの前、木立の中にウッドガード塗装したブランコが、存在を主張せず、森と一体化して子供たちを待つています。

これは昨日の夕方、大槌復興工事を請け負っている前田建設(CMR)さんに仙台から応援に来ている佐々木裕さんが製作したもので、ベルガーディア鯨山に似合うだろうと持ってきたブランコです。

今日4日、二人で1時間ほどで組み立てました。組み立て式なのでどこへでも移動でき汎用性のたかいものです。

また、幼稚園や保育園に見られる原色の遊具でないところも良いですね。自然の中では、やはり周囲との調和が大切になります。感性を育む「森の図書館」・「キッキの森」に相応しいブランコだと思っています。是非、今度キッキの森の風におされて揺れてみて下さい。

御褒美をもらう

去る9月22日、第25回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の受賞式が花巻市の主催でなはんプラザで行われました。

私もイーハトーブ賞奨励賞をいただきました。選考対象は21件。選考理由は、東日本大震災後、電話線のない電話ボックス「風の電話」を設置し被災した方が亡くなった親しい人と語る場所として公開した。又、2012年には、被災した児童を念頭に、石造りの私設図書館「森の図書館」を開設。そこで賢治に関連した展示や朗読も催している。

親しい人を失った人に対する心のケアや、地域の共同性の再構築を、造園、建築、芸術などを通じて行っていることは、宮沢賢治の名に置ける奨励賞にあたいする。というものでした。自分とすれば、賢治を意識したことはなく、事務局から連絡をもらったときも何かの間違いではないかと思ったほどです。

自分以外の名の方は、長年賢治の研究や作品を発表されている方々であり妥当だと思いますが、自分の場合まだこれと言ったものはなく、奨励賞は正にこれから何かをするであろうという、それを奨励する意味合いの御褒美だと思っています。

さいわいなことに大槌宮沢賢治研究会は、大震災後、生死の境を生き延びた我々は何時の時代でも、どんな状況でも無念のうちに亡くなった方々や、これから生まれてくる子ども達に対して責任があることを自覚しています。ただ、どのように生きればいいのか誰も教えてはくれません。どこからも声は聞こえてきません。しかし、我々は賢治の生き方にひとつのヒントがあると思っています。賢治の信条であった「自己犠牲」と、誰か人のためにと言う「利他の精神」です。これ等を追求していく先に「ほんとうの幸せ」があると思っています。

また、人口減少が急速に進む中で、交流人口拡大は地方に於ける数少ない課題のひとつです。単なる災害復旧でなく、復興のためには「新しい歴史の創造」が必要になってきます。

大槌の地に賢治と関わりのある詩碑を2基建立し、それを使い、賢治が1925年「異途への出発」としてイーハトーブ三陸海岸を旅した、テーマ性のある周遊ルートを沿岸市町村と協力して確立、観光開発することを計画しています。このようにこれからが受賞の真価を発揮する時ではないかと思っています。