重さ8.5トンの石運搬する

被災地復興にはいろいろな視点があると思いますが、文化、芸術の香りのしない処に真の復興はありえないと考えています。

昨年4月から5月にかけ、宮沢賢治童話展を開催した折、知見したことに、1919年賢治が「大槌産の薔薇輝石を使って、宝飾品を作る仕事をしたい」と、父親政治郎に手紙を送っていることがあります。かつて、マンガン鉱石を採掘した大槌鉱山、浪板鉱山に探索に行き、賢治が捜し求めたであろう薔薇輝石を見つけて展示しました。

以来、薔薇輝石の研磨した商品化。また薔薇輝石を詠んだ「暁穹への嫉妬」の詩碑を大槌の地に建立したいと考えてきました。

詩碑の適地として、「曙」の空を望める浪板海岸を決め、三陸国立公園を管理する、環境省東北地方環境事務所自然保護官を訪ね、許可申請書提出の手続きの確認。花巻市賢治記念館と「イーハトーブと三陸海岸」の展示資料の借受交渉を行ってきました。

一方で石碑用の石探しをしていましたところ、O氏のご好意で選定することが出来ました。昨日(11月6日)、この石(2,500×1,800㎜)、重量8.5tを文字を刻む石材店まで、クレーン、トレーラを使い運搬することが出来ました。これらの作業はH氏のご好意で実施できています。多くの皆様の協力でここまできています。

今後の予定としては、12月中旬に宮沢賢治が、1925年1月5日に夜行列車で雪の花巻を出発し、翌6日早朝、八戸駅に着いてから三陸海岸を宮古、大槌、釜石と歩き、9日に花巻に戻った旅程を詩とパネル写真で紹介する「イーハトーブと三陸海岸」の企画展を開催。

同時に「大槌宮沢賢治研究会(仮称)」なるものを立ち上げ、大槌と賢治の関わりを、地元に定着させたいと考えています。

また、詩碑建立の募金活動をはじめ、多くの皆様の協力で詩碑建立を実現させ、近い将来、花巻を中心に遠野、釜石、大槌、西は秋田までの「文学メルヘン街道構想」に繋げ、大槌町の交流人口増大、観光振興に寄与できるものと考えます。どうぞ皆様のご意見をお待ちしています。

宮澤賢治 被災地大槌に立つ

東日本大震災により大槌町も多くの生命、財産が失われた。そんな状況のなか、賢治の「雨ニモ負ケズ」に共感する人達が増えている。

被災地大槌に賢治が立ったなら、それらの人達に向かい「雨ニモ負ケズ」を説いただろうか?そんな想いが宮澤賢治童話展を企画しました。

また、賢治と大槌の係わりが賢治の見果てぬ夢「大槌のバラ輝石」を見つけさせ、今回の展示に漕ぎ着けることが出来ました。

5月3日は東京都交響楽団首席チェロ奏者 田中 雅弘氏を招いてのチェロコンサートと花巻市 宮沢賢治記念館 副館長 牛崎 敏哉氏の朗読、賢治についての懇談会を行います。

会  期: 4月15日~5月6日
イベント: 5月3日 14:00〜15:00、懇親会 15:00〜
会  場: ベルガーディア鯨山 「森の図書館」
参加費 : 入場無料、お茶代のみ実費
申込先 : ベルガーディア鯨山 0193-44-2544

 

賢治展に熱い感動!

去る、5月3日賢治展のイベントであるチェロコンサート・朗読会また、終了後の懇談会と五月晴れの青空にブナの新緑がチラチラと輝き、朗読の間合い薫風が頬をサッーと撫でていく絶妙の自然舞台装置の中、田中雅弘さんのチェロがエルガーの「愛の挨拶」を奏でました。

続いて、牛崎敏哉さんが「虔十公園林」を動作を交えながら語り、田中さんがチェロを合わせる。牛崎さんの朗々とした、まさに賢治が理想とした生き方を具現しているかのような語りは会場全員を熱い感動で包み込みました。

又、「雨ニモマケズ」の詩の朗読にも今被災地で何故多くの人達がこの詩に共感を覚えるのか理解出来るような語り口だったと感じました。雨ニモマケズの賢治が憧れたデクノボーが「虔十公園林」の中にいる虔十さんその人であることは間違いないところだと思います。

懇談会のテーマ、「賢治が被災地大槌に立つたなら雨ニモマケズを説いただろうか」。

賢治は、釜石宮沢薬局の叔父さんのところに度々来ていて水産加工にも興味を持ち、自身も水産加工をやりたいと思っていたと言います。そういうことから震災後は必ず被災地には来ていただろう。しかし、「雨ニモマケズ」は病床で手帳に書きとめたように作品として発表するつもりは無かった。また自信の生き方の理想を書き留めたもので人に説くことはなかったと思われると言う結論です。

懇談会が終了したのは17時過ぎていました。それでもまだ感動覚めやらぬ様子で庭をうろうろしている人達がいました。多くの皆様の協力と賢治の生き方への熱き想い、自然環境等が一体と成り大きな感動を生み出したと感じております。関係者すべての人達に感謝申し上げます。

賢治が捜し求めた薔薇輝石

薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、ひかりけだかくかがやきながらその清麗なサファイア風の惑星を溶かそうとするあけがたのそら。

明けてそめゆく空の色を薔薇輝石で表現した賢治。

賢治が、大正8年2月2日の父あての手紙で大槌に薔薇輝石が産出することを記しています。これらのことを「賢治記念館」の佐藤 勝館長に確認した後、心当たりを探してみたいと考えていた。

「森の図書館」では、丁度賢治童話展を企画中であり、その目玉となる物として大槌ゆかりの薔薇輝石があれば朗読会、チェロコンサートとあわせて有意義なものに出来るだろうと思い、東建コンサルタントの前田氏に声かけた。彼も以前から興味を持っており二つ返事でOK。

いよいよ3月30日、探索に出かけた。坑道を三箇所見つけ内一つに懐中電灯をつけ入ってみた。足元は10cm位水が溜まり、相当深く、中で坑道が何箇所にも分かれ又、上下に分かれているところもある。入り口近くには、小鳥の巣があり、20mほど奥にはコウモリが棲息していた、電灯で照らしても微動だにせず逆さまにぶら下がっている。

坑道内部はいたるところに割れ目が入り崩壊の危険があることから、無理はしなかった。坑道を出て、側の水の枯れた沢でたまたま拾った石をハンマーで割ると僅かにピンクの色が見える。更に5,6個石を割ると、よりピンク色の濃い物が出てきた。

これが薔薇輝石か?、こんなに簡単に見つかるものなのか見たこともない石だけに目の前のピンク色に輝く石が薔薇輝石だとは半信半疑の気持ちだった。

欠片を大事に持ち帰り、サンドペーパーで磨いてみると確かに賢治が明けてそめゆく空の色と表現したピンク色、「間違いない薔薇輝石だ!!」その日の夕方から二人で居酒屋で祝杯をあげたことはいゆうまでもない。