長い間、山の中で暮らし人間の言葉を話さない動植物と心の交流をしてきた体験から、亡くなられた方でも「死」というものの捉え方の視点を変えることで、想いを伝え交感・交流することは可能ではないだろうかと考えた。
生き物の生死は一つの線上で繋がっていて、生の延長線上に死があると考えた。亡くなり肉体が消滅したからと言ってその人間が消えていなくなったのではなく、死者として存在していると考えることができる。私たち人間は肉体を持つだけでなく、「感覚、知性、精神」などという意識体を持ち、「心」がそれ等をコントロールしている生命力(エネルギー)であると考える。
そう考えなければ「風の電話」の誕生はあり得なかった。愛する人が亡くなっても「風の電話」で想いを伝えることができる。死者と交感できるということは、生前肉体上の感覚器官を使って「見たり、聞いたり、触ったり」できるという五感の行為ではなく「感じる」という心の対象になり、死後も可能になると考えた。それは言葉で表すことは難しく、祈りとか信仰というものと共通するところがある。
生命力(エネルギー)は生きる力、元気であるのみでなく、心そのものでもある。心にパワーがあって初めて思考力も、生きる力も生まれてくる。しかし、その心は人間の身体のどこにあり、どんな形をしているのでしょうか、誰も分からない。生者にあるのが心で、死者になれば魂なのか?「魂=心」なのか、私にもわからない。誰も分からないからこそ「風の電話」で想いを伝え交感・交流し合うことができるのだろう。
それでは、死者の心「魂」は永遠に存在するのだろうか?私は、亡くなられた方を知る人がいる限りその魂は存在し、知る人がいなくなった時その魂も消滅するのではと考えている。
詳しくは拙著「風の電話と共に」を一読ください。