御褒美をもらう

去る9月22日、第25回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の受賞式が花巻市の主催でなはんプラザで行われました。

私もイーハトーブ賞奨励賞をいただきました。選考対象は21件。選考理由は、東日本大震災後、電話線のない電話ボックス「風の電話」を設置し被災した方が亡くなった親しい人と語る場所として公開した。又、2012年には、被災した児童を念頭に、石造りの私設図書館「森の図書館」を開設。そこで賢治に関連した展示や朗読も催している。

親しい人を失った人に対する心のケアや、地域の共同性の再構築を、造園、建築、芸術などを通じて行っていることは、宮沢賢治の名に置ける奨励賞にあたいする。というものでした。自分とすれば、賢治を意識したことはなく、事務局から連絡をもらったときも何かの間違いではないかと思ったほどです。

自分以外の名の方は、長年賢治の研究や作品を発表されている方々であり妥当だと思いますが、自分の場合まだこれと言ったものはなく、奨励賞は正にこれから何かをするであろうという、それを奨励する意味合いの御褒美だと思っています。

さいわいなことに大槌宮沢賢治研究会は、大震災後、生死の境を生き延びた我々は何時の時代でも、どんな状況でも無念のうちに亡くなった方々や、これから生まれてくる子ども達に対して責任があることを自覚しています。ただ、どのように生きればいいのか誰も教えてはくれません。どこからも声は聞こえてきません。しかし、我々は賢治の生き方にひとつのヒントがあると思っています。賢治の信条であった「自己犠牲」と、誰か人のためにと言う「利他の精神」です。これ等を追求していく先に「ほんとうの幸せ」があると思っています。

また、人口減少が急速に進む中で、交流人口拡大は地方に於ける数少ない課題のひとつです。単なる災害復旧でなく、復興のためには「新しい歴史の創造」が必要になってきます。

大槌の地に賢治と関わりのある詩碑を2基建立し、それを使い、賢治が1925年「異途への出発」としてイーハトーブ三陸海岸を旅した、テーマ性のある周遊ルートを沿岸市町村と協力して確立、観光開発することを計画しています。このようにこれからが受賞の真価を発揮する時ではないかと思っています。

外壁タイル張りもなんとか

連日雨降りで作業が出来ないでいましたが合間を見て、外壁のタイル張りを3日がかりで仕上げました。床を張るのと比べ格段に難しく、膝を曲げて、目の位置より下の所を張る作業は、にわか左官屋にとっては大変な仕事でした。立ったり、逆さになって見たり、離れて眺めたりと苦戦を強いられ大変な思いをしました。道糸を張れば良いと思いやってみましたが思うようではなく途中で止めてしまいました。見掛けはともかく、何とかタイルを張り、目地詰めまで終えることが出来ました。

タイルの一部欠けているところは、建物が古くなって欠けたと思わせる「意匠」でとわざとそうしています。あまりきちんと整ったものは、私の感性に合いません。しかし、凸凹平ら、曲り真っ直ぐを志向する私でもタイルの目地ヲ縦横合わせるのと、幅を揃えることは難しく1cm以下もあれば以上もある状態は洒落にはなりません。

まあ・・・自分でやったところに意義があると納得しています。

床タイル張り完了

廃棄物だったり、半端物だったタイルを組み合わせ、なんとか床を完成させました。

始めに、持ち合わせのタイルの枚数を夫々確認することからでした。そして、箇所に応じてタイルの種類を決め、仮置きしてみた。12種類のタイルをある枚数だけ使い、モザイク模様を違和感なくデザインしてゆくのですから、並べるだけでも大変でした。

また、モルタルで張り付けるのも、端から順番と言うわけには行きません。同じタイルと組み合わせごとにぐるりと張り付けていきます。更に、100ミリ角のタイルは9枚セットの物をデザインの関係上3枚づつに切り離し使用すると言う、手のこんだ作業となりました。

お金をかければ簡単なことを、出来るだけかけないようにする為には、自分の労力と時間がかかるものです。しかし、それだけ出来上がった時には感動と喜びが沸き上がります。

何時も、自分が物づくりをしていてこの感動を味わうため、あえてガラクタを使い苦労をしながら完成させているのかもしれません。

タイル屋さんの後は、ペンキ屋さんになりブロック内壁を塗装しました。シーラーでブロック表面をコーティング、乾きを待ってベィジュの浴室用水性塗料をローラーで2回塗りして仕上げました。これで1週間要しています、商売だとぜんぜん割があわないですよね!。

残るはブロックの外壁のタイル張りです。そして、次は石屋さんになり、コンサバトリー周囲に石を敷き詰める作業になります。これで全作業完了となりますが、中の使用はもうできますので植物とテーブルは運び込もうと思っています。もう一息です。

15年来の夢完成間近かな?

ガーデニングを志す者なら、誰でも?憧れるであろうコンサバトリー。

家と庭をつなぐひとつの空間として、エドワーディアンスタイルのクラシカルタイプをデザインしてみました。皆さんの記憶にもあると思いますが「風の電話」が強風で倒壊した時、駆けつけて修理してくれた港さんにデザインを見せてご相談したところ、「出来るよ」と言うことでしたのでお願いすることにしました。只、予算が余りないので自分が出来るところは自分でやることし、港さんには大工仕事だけを受け持ってもらうことにしました。

ですからペンキ塗りとかタイル張り(床、外壁)は自分の仕事になります。屋根、窓のアクリル板はインターネットで取り寄せました。骨組みは全部木製で、港さんの手でひとつひとつ丁寧に作られています。それに船舶用のホワイトペンキを3回重ね塗りしています。大工さん部分はほぼ終っていますので、いよいよ左官屋としての私の腕の見せどころとなりました。

植物達にとっても季節が変わり寒くなつて来る頃を思い、待ちどうしく見ているのだろうと思います。ブログでお馴染みの皆さんも寒さに関係なくどうぞいらして下さい、特に左官の心得のある方大歓迎します!

「千の風」の新井満さん「風の電話」へ

北海道在住で「千の風になって」の訳詩、作曲の新井満さんが明日11日大槌町中央公民館で行われる特別講演のため大槌入りをしました。

講演に先立ち今日は「風の電話」を訪れ、91歳で亡くなった元助産婦のお母さんに電話をしていました。

お母さんに繋がりましたかと聞くと「かすかに声を聴くことが出来ました」と話されていました。

北海道では羊を飼っていて、夕方5時頃は羊の散歩をさせているのだそうです。

明日11日、東日本大震災のつき命日の講演会を心より期待しています。