息子のためサインボード製作


5月5日こどもの日、シコーバイシクルサービスをオープンさせた次男坊至高。

「森の図書館」等ででお馴染みのサインボードを作って欲しいと連絡があり、開店祝になればとベルガーディア鯨山の鍛冶工房で製作に取り掛かった。

彼は三歳の頃より二輪車で飛ばし遊ぶ子供で、ブロック塀にぶっかリたんこぶを作ったり、車に衝突し車にキズを付けたと持ち主を連れてきたりと界隈で知らない者はいないほど元気の良い子供でした。

その彼のイメージで青空の中を疾走する自転車をデザインし、鉄板を溶断し研磨、銀輪を感じさせる仕上げにした。またそれだけでは色彩的に弱いので、スカイブルーの青空の空間を取り入れた。それらを昔のミシンの鋳物枠の中に納めた。更に、その枠を吊るすハンガーも鉄板と異型丸棒を使い溶接で固定、ペイントにラッカーを噴きつけ仕上げた。
早速息子に送ると即、取り付けたと連絡が入った。大変喜んでもらい鍛冶屋冥利につきるお祝いになりました。

因みに、シコーバイシクルサービスは横浜市井戸ケ谷下町28-13にて「宿るや商店」をシェアして営業しています。


シコーバイシクル
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賢治展に熱い感動!

去る、5月3日賢治展のイベントであるチェロコンサート・朗読会また、終了後の懇談会と五月晴れの青空にブナの新緑がチラチラと輝き、朗読の間合い薫風が頬をサッーと撫でていく絶妙の自然舞台装置の中、田中雅弘さんのチェロがエルガーの「愛の挨拶」を奏でました。

続いて、牛崎敏哉さんが「虔十公園林」を動作を交えながら語り、田中さんがチェロを合わせる。牛崎さんの朗々とした、まさに賢治が理想とした生き方を具現しているかのような語りは会場全員を熱い感動で包み込みました。

又、「雨ニモマケズ」の詩の朗読にも今被災地で何故多くの人達がこの詩に共感を覚えるのか理解出来るような語り口だったと感じました。雨ニモマケズの賢治が憧れたデクノボーが「虔十公園林」の中にいる虔十さんその人であることは間違いないところだと思います。

懇談会のテーマ、「賢治が被災地大槌に立つたなら雨ニモマケズを説いただろうか」。

賢治は、釜石宮沢薬局の叔父さんのところに度々来ていて水産加工にも興味を持ち、自身も水産加工をやりたいと思っていたと言います。そういうことから震災後は必ず被災地には来ていただろう。しかし、「雨ニモマケズ」は病床で手帳に書きとめたように作品として発表するつもりは無かった。また自信の生き方の理想を書き留めたもので人に説くことはなかったと思われると言う結論です。

懇談会が終了したのは17時過ぎていました。それでもまだ感動覚めやらぬ様子で庭をうろうろしている人達がいました。多くの皆様の協力と賢治の生き方への熱き想い、自然環境等が一体と成り大きな感動を生み出したと感じております。関係者すべての人達に感謝申し上げます。

最良の季節を迎える

新緑の季節を前に花が一斉に咲きだしました。

水仙、チューリップ、ムスカリ、芝桜、イベリス、アジュガ、梅、桜、桃等など多少の前後はあるものの赤,黄、白、青、紫、緑、桃色のグラデーション、暖かな日差しそれらの中に立っていると自然と笑みがこぼれてきます。近くでウグイスが鳴いています、なき方からすると大分前からなき始めていることが分かります。

六月になり緑が濃くなる前、五月の新緑の頃が海と空の青さに映え清々しく、広々とベルガーディア鯨山ガーデンが一番美しく、地図にない田舎を感じさせる瞬間です。

煙突の見える風景

「我は海の子」の一小節。

ー 煙たなびく苫屋(とまや)こそ我が懐かしき住家なれ ー

地図にない田舎、ベルガーディア鯨山の「森の図書館」に暖炉が出来、煙突も完成しました。薪を焚いてみると、煙が作ったばかりの煙突の角トップからゆらゆらと立ちのぼり周囲の木立と青空にとけこみます。

角トップの製作は二度目で、前回ステンレスで作ったときには熱ひずみのため変形して使い物にならなかった。(素人溶接の悲しさ、技術がなかった)今回は、2.0mmの鋼板を使い、切断と溶接を繰り返すことまる2日何とか完成にこぎ着けた。仕上げはブラックの耐熱塗料を噴き付けると既製品とかわらぬ出来ばえに見えます。

1. 母屋
2. ガーデンカフェ エバーグリーン
3. 鍛冶工房
4. 森の図書館
5. ツリーハウス

これで、地図にない田舎ベルガーディア鯨山には5本の煙突が立ち上がり、いずれかの煙突からは前述した光景が見られます。また暖炉の前は暖かな炎が揺らぐ癒やしの空間となり、より一層の感性の育む創造空間となることを願っています。

暖炉づくり イメージどうり

しばらくご無沙汰しました。毎日元気にかつ、忙しく生きております。

暖炉づくりをしていたと思えば翌日は花、野菜の苗作りの種まきをしたり、ガーデンの草花の新芽が出ているのを見れば去年の枯葉掃除をする。という具合に春先はあわただしい。

さて暖炉だが、前回は燃焼室までだったがその後、後ろ(反対側)のオーブンではパン、ピザが焼けるようにドーム型の石釜にした。

構造は、燃焼室の炎が後ろから石釜部に入りそこを熱して煙突から排気するという簡単なものです。只、石釜部には熱した時点で炎を遮断する断熱レンガの蓋があり又、蓋をした時に排気するための5cm角の小さな穴を床の端にもうける。煙突にはダンパーを設け、石釜を使用する時はダンパーを閉じ熱を逃がさないようにする。床の小穴からは燃焼室の熾き火の熱が石釜部に入るので連続して焼ける釜として使えるだろう。

注文していた煙突が届いたので今日早速火を入れてみた。ゆっくりと熱をかけて行かなければならず今日は僅かに燃やし、煙の漏れなどの確認をする。

足の指を霜焼けにしながらスタートした暖炉づくりだが、最近の陽気には半そででの作業となり暖炉づくりに?を感じる人もいるかも。

作業全般で大変と思ったことは、使用済みレンガのモルタルを除去しながらの作業(安く上げるためには止む得ない)だった。全部で500枚ぐらい使ったか。

次に、天板に使った4cmの御影石のサイズ加工だろう。ある廃業パチンコ 屋のカウンターに使われていたものだが、カッター1台壊しながらの作業で大変だったのと、高くついたことでダブルで疲れた。