大槌町浪板の高台にある風の電話は、2010年12月に建立されました。背景には、従兄の死という個人的な思いがあり建立されたものでした。 翌年発生した東日本大震災により多くの尊い命が犠牲になり、その数の何十倍もの遺族がグリーフを抱え辛い思いを堪えていました。私は現状を目の当りにして、生き残った者として自分にできることとして、風の電話を設置した一角に植栽をし、鉢植えを置き、歩道に石板を敷き震災メモリアルガーデンとして、何時でも、誰でも、無償で利用できるように開放したのでした。 その後、震災遺族や多くの人々のグリーフと向き合う象徴的な存在として扱われるようになりました。大震災による「時代的な悲しみと癒しの必要」という歴史的な背景が強く影響していますが、「風の電話」は個人的な慰霊装置から、大震災を機に生まれた社会的なグリーフケアの象徴となったと言えます。 今日では、国内だけに止まらず海外の多くの国の方々がオリジナル ウインド ホーンを求めて訪れています。現在、世界で600を超える風の電話が設置されていますが、世界情勢を鑑みますと今後も不確定要素の多い状況が続くと想定される事、また愛する人を失う悲しみは、何時の時代どこの国においても変わらぬ人間の、きわめて人間的な感情であることから、増加の一途を辿るのではないかと考えます。「風の電話を守る会」としては、環境の変わらぬ維持管理を求め皆様の支援と、これまでとこれからの歴史の検証を明確にすることを考え「風の電話 発祥の地」碑建立することにしました。 風の電話を守る会については、ホームページからご覧ください。
何を幸せと感じるか
宮沢賢治は農民芸術概論綱要の中で、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言っていますが、理念としては異論はありませんが、それは抽象的な理想像か? なぜなら、幸せの感じ方は個人によって異なります。世界全体の幸せ感をどう捉えたら良いのでしょうか。 私の場合、身近な例えですが草花の「三時草」が植木鉢の中で一杯になり、水を掛けても土に浸透しない程の密植状態でした、花も4,5輪しか咲きません。今年一回り大きな鉢に植え替えてやったところ花が二十輪も咲き誇り、喜んでいるのが分かりました。それを見て私は幸せを感じたのです。 又、「風の電話」に見知らぬ国から訪れた人が「なんと美しいところでしょうか」「心の行き場のない人たちにとって必要な場所です。これからもずーと維持して下さい」などと言われると感動と共に深い幸せ感に包まれます。 私の年のせいもあるでしょうがもう何も欲しいものは余り見つかりません。「風の電話」を訪れた人たちの心が「癒され」 「救われた」と「ほっ」とした喜びの表情に触れた時に感じる幸福感は何物にも代えられないものです。 人それぞれの幸せを語る時、その人が何を考え、何をどう行ってきたかが現れると考えます。 人間の一生は約80年前後と長い期間がありますが、草花は1年と短い。それだけに育てる人のおこない(お世話)の結果が即、草花に表れます。人の場合、その人の行いがすぐに表れるのでなく徐々に結果として現れ、「なんで自分がこんな目に合わなければないのか」と憤ってみても、すべて自分の行いの結果であると認識しなければならなりません。従って、何をどのような状態を幸福と言えるか一人ひとり違うのが当たり前であり、世界全体をまとめることなど出来ないと考えます。皆さんは何を幸せと感じるでしょうか。
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風の電話のグリーフケアにある癒しとは
一般的な癒しの場合、誰かに与えられる受動的なもの(セラピー、マッサージ)です。しかし、「風の電話」による癒しは、自ら受話器を取り、語りかける能動的な行為により得られています。
現代の癒しは「誰かに癒してもらう」受動的なものになりがちです。しかし、「風の電話」は違います。自らが足を運び、受話器を取り心の対話(自問自答)をする。これは、誰かに癒してもらうのではなく、自らの力で立ち直る「能動的なプロセスであり」自らがその状況の中で、自らが持っている「自己治癒力を呼び覚まし」本来の生命力を取り戻す”気づき”による癒しであり、他から「癒される」のではなく、自らで「癒える」場所なのだと言えます。
例えば、私たちは病気や怪我をした場合、病院に行き医者の診察を受け治療や入院することになります。この場合患者は早く元の身体になり、以前の生活を取り戻したいという願望があり、医者の言うことを良く守り指示に従います。一方、大切な人を失いグリーフを抱えた場合はどうでしょうか。やはり、病気と同じように元の生活や精神状態を取り戻したいという思いを強く持ち、悲しみ苦しみから解放されたいという欲求は当然起きてくるでしょう。
しかし、現実はどうでしょうか。大半の方がたは、悲しみを抱えながらも前を向いて生きていけるでしょう。一方、その悲しみの感覚から不本意ながら抜け出すことができない人も現実にはいます。しかし、それらの方々もやがてはこのままではいけないと気が付き、何とかこの苦しみから脱しなければと思うようになるでしょう。或いは、悲しみを抱えたまま孤立しうつ状態に陥る可能性のある方もいます。
怪我や病気の場合肉体的な問題ですが、グリーフは「心が傷ついた」精神的な状態です。しかし、怪我や病気と違い手術や薬で治すことはできません。セラピスト(心理療法家)はいますが、グリーフを抱えた自分自身が一般的な病気を抱えた場合と同じように、元の自分に戻りたいという強い気持ちを持つことがより大切となります。当事者のそれをなくしてグリーフから脱け出すことは難しいと考えます。
「風の電話」は大切な人を亡くし深い悲しみの中にある方が、自分自身との心の対話によって、混乱している思考を整理します。そして、本来持っている自分の生命力を取り戻すため、自分が主体的に行動することを促していくところであり、セラピスト不在のセラピーです。つまり、グリーフを抱えた人たちが自らに自己回復力が備わっていることを信じ、自分自身で行うセラピーだと言えます。
自分自身のことは自分が一番良く知っているはずです。自分の心が現状をどのように思うかで、精神も身体も意のままに動かすことが可能だと言われています。行動も、言葉もコントロールしているのは自分の心です。「風の電話」は自分が主体的に行動しなければならないことに“気づきを得るセラピーと言えます。
肺がん切除手術からの生還
予定通り、2月16日に岩手医科大学附属病院に入院する。手術までの9日間、様々な検査と事前リハビリを経て手術に臨んだ。手術中は、硬膜外麻酔+全身麻酔のため何をされたのか一切分からないが、全身麻酔から覚めて気が付いたら身体中には8~9本のチューブ類が取り付けられ身動きが取れない状態だった。それでもまだしも手足が縛られていなかっただけでもマシな方で、中には自分でチューブ抜くのを防ぐためそいう人もいるのだと聞く。後で家族から聞いた話だが、切除した後の肺の切り口は「ホッチキスで留めたようだっけ、それもいっぱい」と話していた。自分の目で確かめたかったが、全身麻酔ではしかたなく残念でした。
術後は順調で、集中治療室を基準の2泊3日で一般病棟へ移り、翌日(27日)には一切のチューブが外され、28日には、医者から明日退院して良いですと告げられた。確かに痛くも痒くもなく「俺って鉄人だナ」と納得して退院してきました。しかし、翌日から傷口なのか肺なのか痛み出し、咳一つするにも苦しい思いをする始末で、処方されてきた薬を飲むも夜も眠れず、何もできない我慢の日を過ごしています。病院にいる時の快適さは何だったのか‥‥考えるに、腕から入れていた点滴が全てだったようです。嫌でも、当分だらだらした生活を送ることにになるようです。
「風の電話」のグリーフケア活動では、各人には自己治癒力がありそれに気づき、信じて自分の人生を生ききることが大事だと話しますが、外科手術でもある程度の処置をしたら、自己免疫による自然治癒力で回復させるのだと思うが、それにはある程度の痛みと苦しみが伴うことが体験できている。グリーフの場合にも当事者にだけしか分からない悲しみの痛み、苦しみがあるのだろう・・・。そして、それを和らげられるのは、周囲の方々の優しさだけなのだろうと考えます。
「風の電話を守る会」についてホームページで公開されています。皆様のお力添えを宜しくお願いいたします。
「風の電話を守る会」の設立提案について

長い間、サイトを留守にして申し訳ございませんでした。
昨年12月に胆道狭窄(胆管の詰まり)で6月に続いて2回目の入院・手術を行いました。その際の検査で、新たに肺がんが見つかり、今後の治療方法について医者と検討した結果、手術がベストと判断しました。2月16日入院、24日手術で左の肺を約半分を切除することになります。
この様な事情により今後の「風の電話」の維持管理・継続の危機に直面しております。今日まで15年間、体力に任せ個人で頑張ってきましたが、高齢化(81)と共に体力の衰えと言うよりも病気がちになり、「個人の活動」として今後の維持管理が難しくなってきました。今後、「風の電話と周囲の環境維持管理」を考えますと業者に外注化する必要を検討しなければなりません。そのために当初は簡単な「任意団体を設立」し皆様の支援をお願いし、近い将来NPO法人として公的支援を視野に活動を進めていきたいと考えています。
今、世界に600箇所を超える「風の電話が作られていますが「風の電話の発祥の地」としてなんとしても維持・継続できますよう皆様の協力をどうぞ宜しくお願いしたいと思います。
「風の電話を守る会」設立提案の詳細につきましては、現在検討を進めていますので後日ホームページにて公開いたします。
P.S.
「風の電話」は、東日本大震災の前に癌で亡くなった従兄と遺族が「絆」を保つという個人的な思いで作られたものですが、直後の大震災によって犠牲者の遺族や多くの人たちが故人に想いを伝える「場」となりました。また、グリーフと向き合う象徴的な存在として国内外を問わず、多様な人たちの心の支えとなっております。これは、大震災による「時代的な「癒し」の必要から」という歴史的な背景が強く影響していると考えられます。その意味では「風の電話」は単なる個人的な「慰霊の場」ではなくある時代の特に、災害を機に生まれた社会的なグリーフケアの象徴になったと言えます。
「風の電話」立ち上げから16年間の課程において、グリーフを抱えた方々が癒され、「喪失から再生へ」と意識の転換を図り新たな人生に向かうのを見届ける感動は特別であり、何物にも代えられない喜びですが、本来のコンセプトとは別の視点からの評価として、2017年に宮沢賢治の「利他精神」を実践しているとして宮沢賢治イーハトーブ奨励賞を受賞。2018年に岩手の文化発展に貢献したとして岩手日報社より第71回文化賞(社会部門)を受賞。2019年「風の電話とその環境」に対し、公的空間におけるアートの可能性を示すと共に社会課題に対する芸術の寄与としての公共アートの新しいモデルを提示し、「喪失と再生」・「対話と共感」をテーマとして、個人と社会の両面での癒しと希望を与える象徴的な存在であるとして、第4回インターナショナルパブリックアート賞を受賞いたしました。そうしたことも活動の励みとして「風の電話」活動及び周囲の環境維持整備に当たってきました。「癒し」に大切な要素として、人の認知器官として見る、聞く、食べる、嗅ぐ、触れるの五感に訴えることが大切です。そのための環境整備であり維持管理だと考えています。私は「風の電話とその環境」をアートと捉えて維持管理をしてきました。どうぞご理解をしていただきたいと思います。
