最近、難病やガン末期の現場で盛んに用いられている終末医療。ガンという困難な病気に直面し、生きることそのものに疑問を持ち、人生の意味や死の恐怖、死後の心配などについて苦しみを抱え患者を苦しめている臨床の場に、医師やケアに当たる方々と患者の近親者が一緒に参加する緩和医療が持ち込まれるようになった。
マザー・テレサは、「死にゆく人は生きている者の世界から排除され、隔てられるという不安と恐怖を感じ孤立する危険がある。その不安を少しでも軽減するためには、その死を受け止める役割をする人が必要です」と「死を待つ人々の家」をつくり、どんな人間でも誰かがその死を受けとめる役割をすることを行動で示した。
「誰かに別れを告げることで死にゆく者は、この世に存在していたという認識を得て誰かに何かを引き継ぐという再生の希望を得ることが出来る」と語る。
この様にマザー・テレサは死にゆく人たちの不安や恐怖を取り除き、穏やかに安心して死を受け入れられるように、「死を待つ人を対象とした」寄り添いを実践した。
災害、事故、自殺等の場合その死はある日なんの前触れもなく突然に訪れる。
長い闘病生活の末亡くなるのと違い、自らの人生の振り返りも夢や希望の検証も、また残される家族に対する今後の生活の心配を考える間もなく逝ってしまう。それだけに亡くなる当事者も、後に遺された遺族も伝えたかった想いが沢山あるだろうと思う。しかし、想いを伝える相手はもういない、何処へも持っていき場の無い悔しさと怒りの混じった悲しみだけが残ることになる。
私は、従兄がガンになり皆に看取られながら死を迎えた終末医療の「場」と、東日本大震災で突然に大勢の人が不慮の死を遂げるという、両方の死に至る状況をほぼ同時期に体験した。
従兄(武川博久)は4歳年上で享年69才、趣味で書道と合気道の師範をしていた。子供の頃より一緒に遊び、兄のように慕っていた。2009年、彼がガンを患い余命3カ月を宣告され闘病生活を送っている時、人の命の儚さということが脳裏から離れることはなかった。
人は生まれてから死ぬまでおよそ80~100年、これを短いと見るか長いと見るかは人により受け取り方が異なるだろう。しかし、人が生きている時間と亡くなってからの時間を比べた時、亡くなってからの方が断然長く、永遠に続く時間がある。ならば、生きている間だけの「絆」ではなく、亡くなってからも「絆」を保ち続けることが重要な意味を持つと考えた。
「風の電話」の構想はこの時点で出来ていた。そして、この意識を大切にするために詩「風の電話」を創った。
「風の電話」
佐々木 格
人は皆過去を持ち
現在があって未来がある
又その時々に出会いがあり別れがある
風の電話はそれらの人々と話す電話です
あなたは誰と話しますか
それは言葉ですか文字ですか
それとも表情ですか
風の電話は心で話します
静かに目を閉じ
耳を澄ましてください
風の音が又は浪の音が
あるいは小鳥のさえずりが聞こえたなら
あなたの想いを伝えて下さい
想いはきっとその人に届くでしょう
一方、震災では誰も望んで亡くなった人はいない。突然の出来事に成す術もなく津波に飲まれた人、必死で逃げようとしたが避けきれなかった人、その経緯は様々だが、犠牲になった皆さんはもっともっと生きたかったはずだ。なんとか生きようと努力をしたことだろう。しかし、それが叶わないと知った時、家族の無事を祈ると共に、伝えたいことが山ほどあったことに悔やんだに違いない。「生きたいのに生きられない、伝えたいのに伝えられない」この気持ちを推し量る時、その無念の想いを何としてもつなぐことが必要だと強く思った。
また、遺された家族にしても、もう会えないと分かっていたならもっともっと語り合い、お互いをより理解し、たくさんの思い出を創っておけばよかったと‥‥。しかし、亡くなった人はどんな努力も、どんな手段を持つてしても戻っては来ない。話すことも遊ぶこともできない。自責と後悔の思いが渦まき思考が混乱し、実生活からの様々な要請に現実感が無くなり自分を見失ってしまいがちになる。
人が生きていくためには希望の光を見いだすことが必要となる。亡くなっても心を通わせあうことが出来る、いつも身近にいてつながることが出来るという希望を見つけることが出来たなら、生きていく上でどれほど力づけられることだろうか。また、遺された人たちが死者に寄り添うことで、自分が生者として今を生きていることを実感されるはずだ。そして、亡くなった方が自分を見守ってくれているという安心感が大切な人を失った悲しみから遺された方々を癒してくれるはず。想いをつなぐということはそれ程大事なことであり、命の重さや命の尊さに気付かせてくれることにもなる。この様な考えのもと「風の電話」-は死にゆく人ではなく、亡くなった人に遺族がが想いをつなぐことで生前と変わらぬ絆を維持でき、悲しみの絶望から希望を見出し新たな生活の再生を得るという、遺族への寄り添いなのだというところがマザー・テレサの「死を待つ人々の家」の活動と異なるのである。