「風の電話」は独自で行うセラピー

私たちは病気や怪我をした場合、病院に行き医者の診察を受け治療や入院することになる。この場合、患者は早く元の身体になり以前の生活を取り戻したいという願望があり、医者の言うことを良く守り指示に従う。

一方、大切な人を失いグリーフを抱えた場合はどうだろうか。やはり、病気と同じように悲しみ、苦しみから解放されたいという欲求は当然起きてくるだろう。しかし、現実はどうだろうか。15年の「風の電話」活動から見えるところ、多くの方々が悲しみの感覚に不本意ながらも浸り続けているのではないだろうか。長い時間が過ぎ、やがてこのままではいけないと気づき、何とかこの苦しみから抜け出さなければと思うようになる場合が多いように思う。或いは、悲しみを抱えたまま孤立してうつ状態に陥る可能性もある。グリーフは怪我や病気と一緒で「心が傷ついた」状態です。しかし、薬や手術で治すことは出来ません。セラピストはいますが当事者自身が元の生命力に満ちた状態に戻りたいとという強い気持ちを持つことが大切になります。

心理学者の河合隼雄先生は「心の傷を治すのは医者ではなく当事者であって、医者にできることは当事者が自分で治すのを見守り、助けることだけだ」と語っています。心の傷の再生には、①当事者が安心し自分の感情を思いきり吐き出せる場(環境)があること。②当事者の再生への強い心の持つこと。③寄り添い見守り支える人がいることが必要です。「風の電話」はこれら三つの条件を備え、黒電話で自問自答を通じて本来持っている自己治癒力に”気づき”を得るという、セラピストのいない自分で行うセラピーです。

宮沢賢治が100年前の今日、人生の大転換の決意をした

皆さん、新年あけましておめでとうございます。今年も、どうぞ宜しくお願いいたします。

宮沢賢治は、100年前のちょうど今日(1925年1月5日)彼の人生の大転換を決意したと考えています。               それまでの彼は、法華経の「利他精神」を文学による布教を目指したフィクションの創作者でした。いわば、虚構、作り話、物語の作り手だったわけです。しかし、前年1924年に初めて自主出版した「春と修羅」「注文の多い料理店」が不評だったことから、賢治は「農民の幸せ」を願いながらも本当に百姓の気持ちを理解していないのではないかと自省します。又、農学校で生徒たちに学校で学んだ知識や技術を実際に生かすため、卒業したら百姓になることを勧めたが、現実には思う通りにはいかなかった。更に、生徒に「百姓をやれ」と進めながら、自分は教師という職業について安閑としていることに自己矛盾を感じるようにもなっていた。この様な様々な思いが交錯した結果として、賢治は教師を辞めて自ら一人の百姓になるという行動に踏み出すことになったのです。それが100年前の今日なのです。

人も、社会も、何時でも変わることが出来ます、変わらなければ停滞が起きます。停滞は、水の流れが示すようにいづれ腐ってしまいます。そうさせないためにも変わることが必要なのです。それも善く変わることです。悪く変わつては元も子もありません。そのためには、私たちが良く考えて行動することです。新年を迎えて改めて考えました。

 

 

「風の電話」から見える日本人の神仏観

今日、「風の電話」に来た方で次のようなメッセージを残していった方がいます。「何も話すことはないけれど、何時も傍にいてくれるんだな、何時も見守ってくれているんだな」と初めてそんな気持ちになりました、ありがとうございます。

「風の電話」を訪れるほどんとの方は、亡くなったご先祖をはじめ両親、家族、友人・知人に「ありがとう」の言葉と共に「これからも見守って下さい」とお願いしています。 元々、日本人の神々は自然界の物や現象にあって、人々の日々の営みを助け或は、祟って病気や死を招くと信じられていました。人々は神の存在を実感し、お願いし、鎮魂の祭り等を行ってきました。しかし、これ等の神々は次第に歴史上の偉大な人物の霊と共に、神道の神々と変わってきました。この傾向は近代、現代になり先祖との関係に変化してきました。自分の親や先祖は死んで離れてしまうのではなく、死後も自分たちのことを見守ってくれる存在。いわゆる、仏と神の一体化の傾向が感じられます。

大切な人たちを亡くした多くの方々が「風の電話」ノートに残す言葉にその傾向が明確に表れています。

 

「宮沢賢治三陸旅の謎」朗読会開催

大槌宮沢賢治研究会では昨年11月、花巻市宮沢賢治イーハトーブ館にて、「宮沢賢治没後90年三陸海岸旅の謎」と題して、物語の朗読と旅の途中に詠んだ7編の詩の朗読会を催しました。

この三陸の旅は、賢治が花巻農学校教師を退職する前年の冬休みを利用した旅で非常に謎の多い旅であるとされ、多くの研究者が様々な説を発表していますが未だに不明な点も多い現状にあります。それまでの賢治は、文学者であり詩や童話、短歌や物語の創作者でした。しかし、それらは皆フィクションであり、作り話です。いわば虚構です。その虚構の創作者から、農業の実践者になる、一人の百姓になるという、賢治の人生の大転換を図る前の年の旅であり、自分と向き合い、自分の気持ちを確かめる旅でもあったと思われます。決して後世の人に謎を残す旅ではないのです。それは、賢治の周囲に対する思慮深い配慮、ち密な計画性を考慮するならばごく当たり前の行動であり、後世の人たちが謎と考えることを不思議に思っているのではないでしょうか。一度聞いてみたいものです。

私は、文学者でも学術研究者でもありませんから難しいことは分かりません。皆さんと同じ市井の人間ですが、三陸の地元で暮らす者として、地元の者でなければ分からない知見を基に謎に迫ってみました。

この検証は、あくまでも当時の賢治の気持ちに寄り添い、同じ方向を向いて行ったものであり、賢治の苦悩に共感できるからこそ適切な考察ができ、没後90年にして三陸の旅における賢治の普通の行動が明らかになったと考えています。

この朗読会が契機となり、花巻の地に賢治の人生大転換時に詠んだ「異途への出発」の詩碑建立の機運が高まり、実現されることを祈念するものです。今年は、5月26日PM1時30分から遠野市駅前内田書店2階にて開催いたします。どうぞ参加をよろしくお願いします。

「風の電話」によるグリーフケア体験型セミナー終了 

新緑がまばゆい29日の午後、第1回「風の電話」によるグリーフケアが開催されました。

今回のセミナーは、グリーフを抱えた方のケアーをどのようにしたらいいのかと言うよりも、喪失を経験した時どうすればグリーフを軽減できるか、ということにフォーカスしたセミナーであった。私が体験したり、また「風の電話」を訪れた方々と話をする中で感じることは、大切な人を失った場合でもその受け止め方は一様ではなく、一人一人それまでの生活環境により個人差が大きいと感じていました。この個人差は、私たち一人一人に「心」があるからだと考えています。

「心」の対応には、まず「心」とは何か知る必要があります。傷ついた心を癒すためには、その実態を知らなくては対応は難しいと考えています。これには、「心」を概念として抽象的に扱うのではなく、身近な言葉に置き換え現実的に対応しなければならないと考えています。私は心=生命力(エネルギー)と捉えている。

次に、ある日突然の命や健康に異変が生じても、冷静に向き合えるように準備しておかなければならないと考えています。これには、「事前復興」という言葉があるように、またスポーツにおける練習と同様、個人の人生及び社会生活においても予め訓練とか予習が大切だと考えています。

これを裏付けるものとして、ユニセフの世界の国の幸福度調査から見られるように、日本人の自尊感情、自己肯定感の意識の低さが喪失を抱えた時、グリーフを深刻化させ長引かせていると考えています。これには、小学校からの道徳教育、社会人になってからの死の話をタブー視することなく、死は生の延長線上にあり共存しているものなのだとする意識が大事になります。そして、自分自身の生き方を見直すキッカケは多くのことから ”気づき”を得て自分で変わらなければと考えます。生き方の見直すキッカケは何時でも、何事かある時、また見たり聞いたりする時、自分自身の目の前を横切ります。それを捕まえて自分の活力にするか、横目でやり過ごしてしまうかは自身の普段の感性と心構え(意欲)にあると結ぶセミナーでした。