ペンキ塗り

森の図書館前のテラスに置いてあるテーブルセット、木製のためペンキ塗りが毎年かかせない。

毎日、風雨や強い日差しにさらされ又、山桜の下に位置している為、虫や小鳥の糞で汚れてくる。来館する皆様に不快な思いをさせてはと思い先日ペンキ塗りをしました。

今までは、ホワイトとセージカラーの2種類に色分けしていたが今回は、セージカラーに統一することにしペンキを調合しました。

まずホワイトを基調にグリーンを混ぜそれにプルシャンブルーを少しづつ加えていきます。セージカラーは、ホワイトが強くてもグリーンが強くてもいやみな色になりますので、ブルーを少しづつ加えることがポイントです。

次いで、カフェ前のテーブルと椅子をホワイトにペイントし、グリーンのガーデンパラソルと周りの木立に映えるようにし3日間の作業を終了しました。

「風の電話」歌になる

今度、風の電話が作詞 佐々木格、作曲 大久保正人さんで歌になります。5月13日に1回目のレコーディング。その後、20日に微調整を加えたレコーディングでほぼCD化が決まりました。

会えなくなった大切な人へ、風にのせて想いを伝える風の電話。誰もいない電話ボックスで自分の胸の想いを電話で語りかける。そこの空間には、自分と会えなくなった大切な人の二人だけ。言葉で語りかけても、ただ思い切り泣いてもいいのです。

言葉に出したり、泣くだけでも喪失感、苦しみ、悲しみ、悔しさが少し和らぎます。

今度、歌を口ずさんでみてください。歌には、あなたの想い、会えなくなった方の想いがうたわれています。

言葉を、歌を口ずさむことで以前の日常を取り戻すキッカケになればと思っています

写真家 藤原新也さん「風の電話」を撮る

5月14、15日写真家の藤原新也大先生がベルガーディア鯨山を訪れ「風の電話」の取材をされました。

12日に来訪の連絡をいただいた時、恥ずかしながら私は先生のことを知りませんでした。ですから「13日は風の電話のレコーディングで忙しいですからダメです」とお断りしたのでした。先生はぶっきらぼうに「それでは13日にそちらに入り14日10時頃に行きます」。私「それだったら良いよ」。

後で、打ち合わせに来た大久保さんに話したところ「私も本を持っているよ。有名な写真家だよ」と云う。それからインターネットで検索し、はじめて超大物写真家と知る。

その後は、予想だにできない展開に発展していくのでした。(つづく)

東日本大震災から3年、今考えること

昨年11月19日ブログで紹介致しました、風の電話で勝也さんに呼びかけたご両親、祖父母のことが気になり、「なんとかしてお地蔵さまを手渡したい」とその消息を尋ねていました。

町役場、警察に尋ねても個人情報というバリヤーに跳ね返され途方に暮れていた時、取材に訪れていたTV局の方に相談したところ、その夜遅く「震災当初ツイッターで勝也さんの消息を尋ねてる人がいる」と電話がありました。

翌朝(2月12日)会社名から電話番号を調べ電話を入れました。「御社に○○勝也さんという震災で行方不明になっている社員の方はいないでしょうか?」の問いかけに「います」との返事。

事情を話し、親御さんに連絡を取りたいと話したところ、上司と相談しますとのことだった。それから3時間ほどたち会社から電話があった。「ご両親は今大槌に行っているようですから直接電話してみて下さい」。携帯番号を聞き早速電話をしたところ私の家に向かっているところで「間もなく着く」という返事。

何と言う展開だろうか!

程なく着いた4人を招き入れお話を聞くと次のようでした。

勝也さんは、10年に大学を卒業して宮城県の会社に就職、その年の11月に長期出張で釜石に滞在して仕事をしていた。震災当日は、大槌町小枕(海岸のそばの地域)でNTT関係の倉庫で仲間7人で仕事中だった。外で「津波だ上に逃げろ」という声に2人は山へ、5人は2階に上がった。津波は、山に逃げた1人と2階の5人をのみこんだ…。

6人の内2人は未だ行方不明であり、勝也さんがそのひとりだ。

その日以来、ご両親と祖父母の皆さんは毎月1回は、何か手がかりを求めて被災された場所に来ているのだという。今日電話が繋がり、風の電話のノートに「勝也 早く家に帰ろう」と残してから4ヶ月ぶりにお地蔵さまを手渡すことができたのも、単なる偶然とは思えない気がします。

勝也さんのお母さんは震災のその日以来、精神が不安定になり「自分が何をしているかわからない」といいます。

今回の件を通じて、「私達は本当に必要とされる方たちに必要なケアをしているのだろうか?」と考えてしまいました。

復興まちづくり、高台移転、公営住宅の用地確保、土地区画整備等の住宅再建の道筋は遅いながらも見えてきました。しかし、心の復興に関する限り何時、どこで、誰が、何故、何を、どのようにやろうとしているのか明確に見えてきていません。

表には見えにくい心の問題だけに難しさはあります。今回、家族(息子)が行方不明になっている親の気持ちに触れその喪失感の大きさ、苦しみを垣間見ました。これから自分たちがやるべきは、同じような境遇にある人々の輪をつくり、お互いの苦しみ悲しみ、心の苦悩を吐露できる場づくり。そして、それら苦しみを軽減させる活動にあると考えました。


「あの故郷(まち)に帰ろう」

佐々木 格

あの日僕は誰にも告げず故郷を出た
途中何度も家族の笑顔が僕を引き戻そうとした
見えない大きな力が僕を包み
故郷から遠く引き離した

そこは見知らぬ街で僕は迷い混乱した
行きつけの店も知った顔も懐かしい花の香りもここにはない
はてしない暗闇が続く街
ここの街外れは何処にある
僕の居場所はどこにある

帰りたい
もとの森や小川のある故郷がいい
小さなマーケットと美容室それに小さな花屋があればいい
帰りたい
僕が笑い君と家族が笑う故郷
みんなで肩寄せあえるところがいい

今は笑顔で話す僕はいない
だけど君には見えるはず
君と家族の住むあの故郷が僕の居場所
何時もいるよ
愛する人が幸せに暮らせるように
何時もいるよ
いつも傍に寄り添い手を差しだせるように
あの故郷に帰ろう

ベルガーディア鯨山 活動支援金を募集します

ベルガーディア鯨山はオープンガーデンとして10年もの間、癒やしの空間として人々に親しまれてきました。

東日本大震災後それに加え 「風の電話」による心のケア、「森の図書館」による子供達の感性の育み、障害者の自立支援等に活動の幅を広げてきました。

それらの活動資金はオープンガーデン募金、花、苗木の販売、ロートアイアンの手作り燭台、蜜蝋キャンドル等々の販売で運営されてきました。

しかしながら、震災から3年目を迎える今、継続的、長期的にこれらの活動を運営していくためには、賛同してくださる皆様のご理解とご支援が必要です。なにとぞ活動支援金のご協力を宜しくお願いします。

[ベルガーディア鯨山の基本活動]
1. ベルガーディア鯨山オープンガーデン
2. 「風の電話」による心のケア支援
3. 「森の図書館」による子供達の感性の育み
4. ギャラリーによる芸術・文化活動及び障害者の自立支援
5. 「木ッ木の森」に遊び心身の解放支援

銀行名 : 岩手銀行 大槌支店
店  番: 039
口座番号: 普通 2050680
口座名義: 佐々木 格(ササキ イタル)
お問い合わせ: ベルガーディア鯨山 佐々木 格(電話 0193-44-254)