東日本大震災から9年「風の電話」活動の実践から論理を考える

今日3月11日、yahooトップニュースに「風の電話」が取り上げられました。 日本農業新聞の記事天国へかける”風の電話” 癒えぬ傷と生きる 岩手県大槌町だ。読んでみると多少記者の創作が入っていると気付きます。

「風の電話」が創られたのは大震災の前年であり、従兄の死が契機となっているのが真相であり、翌年の大震災で多くの命が失われた現実に、震災遺族にもというより喪失感を抱えた全ての方々を対象に開放したものです。

大震災から9年目を迎えた今日、標記にあるように「風の電話」設置者としての今の気持ちを表してみたいと思います。

大震災では多くの人たちが亡くなりました。誰も望んで亡くなった人はいません。皆もっともっと生きたかったはずです。生きたくても生きられなかつた方たちが大勢います。たった一瞬で大切な人と二度と会えなくなり、今も辛い思いを抱えている方々が多くいます。そうした事実があるからこそ”生かされている”自分に気づかされ、心のより所を生み出す活動を続けることに自分の「生」を見出しています。

大切な人を失うことは大変辛いことです。しばらくは立ち上がれないでしょう。しかし、ある時、大切な人や共に暮らした家族や仲間との幸な日々や言葉を振り返る時、それまでの生活が過去ではなく、今になり新しい環境での生活を組み直さなければならないことに気付くことになるでしょう。

「風の電話」によるグリーフケアは、各個人が持っている自己回復力を呼び覚ますセラピストのいないセラピーであり、グリーフを抱えた方が自ら行うセラピーです。(人は他人から言われて変わることはめったにありませんが、自分が納得したことに対してはやってみようとし、変わることはあります。)

人は人生において夢とか希望を持って生きています。そして、それがあるから豊かな生き方につながります。しかし、夢や希望は現実でなく虚構の世界です。 いわゆる、フィクションです、作り話です。いわば物語と考えることが出来ます。そうです、人は人生において自分の物語を創り出し、その世界を生きていると考えることが出来ます。そして、最愛の人を失った時、遺された者はそれまでの物語を遮断されてしまいます。夢や希望もストップしてしまいます。特に、突然の災害、事故、自殺等の時は心の準備がなくこれからどうしたらいいのか混乱や絶望感を味わいます。

今までの夢が大きい程その度合いは大きくなります。従って、遺された人を癒すには物語を再び紡ぎ直すという作業が必要となります。そして、その作業には人の持つ感性と想像力が大切になってきます。また、人間には失われたものを回復しょうとする精神の営みがあり、癒しには亡くなった人に再会出来る、再びつながれるという物語が必要となります。この新たな物語を創出するのがその人の持つ感性と想像力なのだと考えます。

「風の電話」に来て、電話線のつながっていない電話で自問自答することは自己の発見であり、自我意識の表出になります。自分は何が悲しいのか、何が苦しいのか、何に対いて怒り抱いているのかが明確になります。その作業は、それまでの物語の振り返りと新しい物語の創出につながり、断ち切られた日々を一瞬でも取り戻すことになり、遺された人は物語の新たな展開を意識しなければなりません。それが生きる力を生み出すことにつながります。そして、絶望から希望へと意識の向け換えを促し、悲しみを抱えながらも新しい人生を生きるという力を生み出すと考えています。

意識の向け換えが出来たなら、今の現状をあなたの人生にとって必要なことなのだと受け入れることが必要です。受け入れることで一歩前に踏み出せることになります。 グリーフを抱えているあなたの自由を拘束している人は誰もいません。客観的に見れば、あなたが貴方の心に有刺鉄線を張り巡らし自由を奪っていると見ることが出来ます。あなたを拘束しているものは何もありません。

あなたは自由に行動できます。好きなことをやれます「風の電話」に来るのもいいでしょう。自分の好きなことをやってください。心を少し開き自然を素直に受け入れて下さい。人は本来自然の中で進化してきました。それは、現代であっても変わりありません。災害や事故で大切な人を失い、心が傷つき生命力が低下した時、緑を観たり育てたりすることで心が癒され生きる力を得ることは科学的に立証されています。東日本大震災の時も仮設で暮らし、心が傷ついた人たちが「何もいらない1つの鉢植えがあれば良い」と話す方たちが数多くいました。 緑は人間が生きていく上で生理的にも心の安定にも必要な要素になっています。心が傷つき生命力が低下した時、自然の中に身を置き、自然のサイクルを感じ、自然のリズムに身を委ねて下さい。勿論「風の電話」があるベルガ―ディア鯨山を訪れるのも良いでしょう。ここは、英国王室のキューガーデンより「このガーデンこそイングリッシュガーデンそのものだ」と評されています。(リップサービスだったかも)心の傷を抱え今も苦しんでいる皆さんに是非1度訪ねてみて頂きたいと思っています、お待ちしています。

ベルガ―ディア鯨山

第3回「風の電話」音楽祭の延期について

先のご案内で5月2日に予定しておりました標記音楽祭は、新型コロナウイルス感染症対策の基本方針に基づき実行委員会にて検討した結果、延期とさせていただきます。

ご来場を予定されていた皆様および音楽祭出演に向け準備を進めていた皆様には大変ご迷惑をおかけしますこと、深くお詫び申し上げます。

なお、標記音楽祭につきましては後日開催する予定です。開催が決定した際には改めてご案内いたしますので宜しくお願い申し上げます。

第3回「風の電話音楽祭」実行委員会開催する

第3回「風の電話音楽祭」の実行委員会(実行委員:佐々木格、大久保正人、臺 隆明)が2月6日開催されました。今年はGWが飛び石となり、開催日が前回より遅れる予定です。詳細については後日チラシを作製し流しますが速報としてご連絡いたします。

日 時: 2020年5月2日(土)、午前10:00~午後15:00 その後、例年通り懇親会を予定しています。

場 所:ベルガ―ディア鯨山(キッキの森) 雨天時は浪板交流センター

尚、当音楽祭実行委員会では出演者を募集しています。電話にてヒアリングあり。また、音楽祭共催スポンサーを併せて募集しています。

連絡先:佐々木 格 電話0193-44-2544

朝日新聞「風の電話」記事に共感する善意の方々

2020年1月7日朝日新聞夕刊に、東日本大震災以降のベルガ―ディア鯨山の活動が「風の電話」、「森の図書館」、「キッキの森」として紹介され、グリーフを抱えた方たちの癒しや、子どもたちの感性を育む場所として10年目を迎え、多くの人たちが訪れるようになった。

また、24日からは映画「風の電話」が全国で公開され、さらに訪れる人が増えることが予想されると報じられました。しかし、私が体力の衰えで維持管理が難しくなっている。他人の手を借りねばとの記事に、全国の皆さんから励ましの電話や手紙、募金が届いています。金額の多少でなく、応援してくれる気持ちが大変嬉しいです。

2月15日で後期高齢者の仲間入りをしますが体が動くうちは頑張りたいと想いを新たにしています。匿名の方もいましたので、この場をお借りして皆さんにお礼をのべさして頂きます。ありがとうございます。

映画「風の電話」特別先行試写会スペシャルトークショー付き(in大槌)開催

12月18日、映画「風の電話」特別先行試写会が大槌町文化交流センター(おしゃっち)多目的ホールでありました。東日本大震災で家族を失い一人になったハルは、広島の叔母さんと暮らすことになったが、叔母さんも病気で倒れてしまいます。自分だけなぜこんな悲痛を味わなくてはならないのか?。ハルの心は、これ以上の悲しみで心を押しつぶされないよう、何を見ても何に触れても何も感じない「無感動」「無感覚」「無関心」になっていきます。

この役は、監督が彼女しかいないと抜擢しただけあり、モト―ラ世理奈さんは演技でなく地ではないのかと思えるほど適役になっています。叔母さんが倒れた後、ハルは衝動的に家を飛び出し、故郷大槌に向かう旅に出ます。途中、様々な悲しみ苦しみを抱えた人たちに出会います、皆それぞれに問題を抱え悩んでいるのは自分だけではないことを知ります。映画の中で「お前が死んだら誰が家族のことを思い出すんだ」という森尾のセリフがあります。そうです、亡くなってもその人を知る人がいる限り魂は存在すると私も思います。誰も知る人がいなくなった時点で魂は解放される、生きている人との相対的対象だと考えています。

ハルは出会った人たちに背中を押され抱きしめられたりしながらようやく大槌に着きます。震災前家族と暮らし、今は基礎の後だけが残る我が家にたたずみ「ただいまー」「ただいまー」と呼びかけますが・・・返事はありません。高校生のハルにとってはつらい時が流れます。偶然に駅で会った少年が、交通事故で亡くなったお父さんと話をしに「風の電話」に行くというのでハルも一緒に行くことにし、ようやく「風の電話」にたどり着きます。

しかし、このあたりの描写が少し不自然に感じられる。一般的に私たちが何かを行ったり、見たり、聞いたりと行動を起こす前提となるのは、その対象となるものがそこにあることを知らなければなりません。それを知って初めて行って見たいとなるのではないだろうか?

秋鮭の回帰も、生まれ育った川に戻り産卵するという目的があって途中の困難に耐え故郷に帰ることが出来る。 ハルの場合、その必然性が描かれていなかった。偶然大槌駅で出会った少年について行ったという設定のためストーリーとしてのいきいき感や勢いみたいなものが不足したのではないかと感じました。

「風の電話」の癒しとその魅力は、そこを訪ねる熱意にあります。グリーフを抱え、自分の心にバリヤーを張り巡らし思考も混乱しそこから一歩も踏み出せずにいる状況から、「風の電話」のあることを知り自分も行ってみょうとする熱意にあるのです。地図にない田舎の、案内板もないわかり難い場所に途中何度も道を尋ね、ようやく辿り着く「風の電話」。どういう事かと言いますとこれは、米国の心理学会でいうところのマインドフルネス。日本の禅でいうところの瞑想状態になることを演出しています。

「風の電話」に行きたい。そして、想いのたけを伝えたいという気持ちに集中させることになります。ですから、電話で話し終えた後解放感と共に癒され救われたという感覚に満たされるのです。

諏訪監督は、旅で自分を見つめ直す。人は喪失を経験した時、それを受け止めてくれる場、信じられる「場」を求める。「旅は人の再生に欠かせない」と強調します。近年、若い人やインバウンドに四国八十八か所巡りが盛んらしいですが、自然や人と触れ合い、ただひたすら歩くことにより何か人生の道標みたいなものが見つかると言われています。ハルちゃんも旅の中で死ぬことよりも大事ななものを見つけたのでしょう。終盤の風の電話ボックスでの10分間は圧巻でした。ハルの今まで抑えていた感情が徐々にそして、静かに語られます。私たち見る側には自然の音、風の音、カエルやカモメ、虫の鳴き声が効果的に音楽の役割をはたしていました。 

この映画は見て楽しむ娯楽映画ではなく、心で感じ、映画の深部にある私たちのラジカルな問題をつかみ取ることを促している映画だと思います。