「風の電話」使用禁止

今朝、風の電話ボックスの掃除を終えて外に出たところ、頭の辺りでブーンと音がするので払いのけたら手に鋭い痛みを感じました。手を振ったところ今度は首のあたりに同じ痛みを感じたので両手を振り回しながら家に逃げ帰りました。その時は蜂の姿は特定できませんでした。

すぐに痛みがじんじん襲ってきました。蜂に襲われるのも4回目になりますが首を刺されたのは初めてでその痛さは半端ではありません。

風の電話には毎日どなたかが来ており、誰が襲われても事件でありすぐに取り除かねばと服とズボンを3枚づつ重ね着し、首にはタオルを巻き、帽子にネットをスッポリかぶり、ハチジェットを構えボックスの側まで行ったが蜂の姿が見えません。最初脇の草むらにジェットを噴射したが異変はない。そのうち屋根のあたりに1匹、又一匹と集まってブーンブーンと威嚇し始めました。スズメバチだ!こちらは完全武装しているとはいえその怖さは充分知っています。

たむろしている所めがけてバズーカ攻撃、彼等が退散したところで敵の本陣を一揆に攻めようとしたのですがその本陣の巣が見当たらない。敵もさるもの三角屋根の内に本陣を巣くっていると見え無駄打ちのバズーカも遂に弾きれ,後は退却せざるを得ませんでした。

殲滅させれなかったとなれば電話に来た人に危害が及ぶのを避けなければならなく、ロープを張って張り紙を出すことにした。

余りにも暑かったので重装備を脱ぎ捨て再度激戦地にいくと本陣警護の敵が一杯集まり騒いでいます。これでは当分の間申し訳ありませんが皆様の安全のため使用禁止せざるを得ません。どうかご了承いただきたいと思います。

それにしても首は痛いなー。

第25回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞発表になる

7月のはじめ宮沢賢治学会事務局から電話がありました。「イーハトーブ賞奨励賞の候補になりました」「これから花巻市に答申します」「決定ではないので外部には漏らさないでください」何のことでしょうか?と私が訊ねると風の電話と森の図書館の活動が賢治の精神を実践しているのだとしそれに対する受賞だと説明を受けました。

それでも納得がいかずに、現在「大槌宮沢賢治研究会」の活動を展開中であり、それの間違いでわないのですか(それにしてもなんか早すぎるとは思ったけれど)と訊ねても風の電話・森の図書館の活動に対しての受賞ですと言いますのでとりあえず大変嬉しいです、ご苦労様でしたと電話を置いた。

それからインターネットで宮沢賢治賞を検索してみると、1991年の第1回から始まり今年は第25回目に当たります。受賞者の顔ぶれを見てみると第9回の井上ひさし、第23回シンセサイザーの富田勲、第24回影絵創作の藤代誠冶等々第一線で活躍している、或いはされた名前が紹介されています。私のような者が活動の自覚がないまま受賞していいのだろうか、疑問が残りました。

7月23日再び学会の事務局長より電話があり「イーハトーブ賞奨励賞に決まりました。発表は7月27日午前11時になります、それまでは外部には漏らさないようにして下さい」ということでした。

選考経過および理由についてには、次のようなことでした。大槌町の高台に自ら造園した庭園に電話線のない電話ボックス「風の電話」を設置し、東日本大震災で被災した方が亡くなった親しい人と語る場所として公開した。それに対する大きな反響を受けて、佐々木氏は、主に被災した児童を念頭に、石造りの私設図書館「森の図書館」を立て、そこで賢治に関連した展示や朗読も催している。親しい人を失った人に対する心のケアや、地域の共同性の再構築を、造園・建築・芸術等を通して行っていることは、宮沢賢治の名における奨励賞にあたいする。というものでした。

確かにそれ等の活動はやってきましたが、ごく当たり前のことをしてきただけと言う思いはあります。震災後被災地の私達は多くの人達から「縁」だ「絆」だと多大な支援を受けてきました。この事実を見る限りそれらの活動をされた皆さんにも十分資格があると思われます。

我々はこの自然界において深い繋がりで影響し合って生きています。誰も一人では生きられないのです。その生き方の原点を今回の大災害は再認識させてくれました。被災地で生き残った我々は津波で犠牲になった方々、或いは今後生まれてくる子ども達に対して責任があります。「どのような生き方をしなければならないか」。生き残った我々は当然考え続けなければなりませんし、考えたことを行動に移してゆかねばなりません。

宮沢賢治の生き方に「被災地の人々がどのように生きなければならないか」ひとつのヒントを見ることが出来ると考えています。賢治の生涯を貫いた信条は「自己犠牲」と誰か人のために役立つという「利他の精神」ではないかと思っています。

これ等の追求して行く先に賢治の言う「ほんとうのさいわい」があると考えています。

ここに考えが至り、それを実践した時にはじめてイーハトーブ賞奨励賞に相応しい活動が出来ていると感じれるのではないだろうか。

今年2月15日に発足した「大槌宮沢賢治研究会」は、これ等の追及と「賢治と大槌の関わりのある詩碑を建立し」大槌の新しい歴史の創造と、これ等を活用した交流人口の拡大を図ることを目的とし現在募金活動をしております大槌の皆さんで、大槌の新しい歴史を創造していきたいと思っています。なにとぞ ご協力をよろしくお願いいたします。

連絡先:ベルガーディア鯨山 佐々木 格(電話:0193-44-2544)

空とぶ金魚

50匹程いた金魚が1匹、また1匹と減っていった。

池の排水口から逃げているのかと思い網を取り付けても見た。それでもその数は減る一方だった。今では半分以下になってしまった。

或る時妻が「金魚が空を飛んでいるよ」と言うので上を見上げるとミサゴ(海辺に生息するタカ)が両足でガッチリと20cmもあるデブッチョ金魚を捕まえて大空を飛んでいるではないか。話しには聞いていたが、現実に目撃するとそれは驚きだった。又青空に紅い金魚は妻が言うように空を泳いでいるようだった。他の金魚たちも同じように連れていかれたのだろう。どうりで今の金魚たちの親の姿が見えないと思っていた。大きいのから狙って連れて行くのだ。

大震災の翌年に孵化した金魚たちだがその後は孵化していないとみえて小さいのは見当たらない。

早速ネットを張ろうと考えたが、カルガモのトップとスージーが引っかかってはと思い1/3だけに張ることにした。今のところネットに引っかかったことはない。

小動物が庭に遊ぶ様子は楽しく、気持ちが穏やかになれるが全てのものに当てはまる維持管理して継続させることに大変な苦労を味わう。

大槌学園小学部の郊外特別活動 IN ベルガーディア鯨山

19日天候に恵まれ、子供達はやってきた。

一年生71名、先生7名、神奈川県相模原南ロータリー関係者9名、けん玉師1それに我々2名が加わり総勢100名がベルガーディアの「木ッ木の森」に歓声を響かせた。

「木ッ木の森」のハンモックで大騒ぎした後、けん玉師伊藤祐介氏野パフオーマンス。その後全員にけん玉がプレゼントされ子供達の体験と交流があった。子供達は数種類の技をこなせるまでになった。技を決めたときの得意そうな顔付き、学校ではなかなか見れない表情だと思う。

昼食後は、自由遊び時間で各自が好きなことをやっていたが滑車ロープが大人気だった。

タイヤがロープに食い込みスピードは出ないというより止まってしまうほどだったが滑り降り、滑車を引き上げる際も大変で、急な斜面を何人も手をつないで引っ張り、転び、土だらけになりながら乗りたい一心で頑張る姿こそ、集団での郊外活動の生きた勉強だと感じた。

しかし、子供達は、我々大人が想像出来ないような行動をとるもので、帰った後点検してみると驚かされることだらけだった。

ベルガーディア鯨山に新しい仲間がやってきた

体長35cm、色調 黒、水の中から突然現れ唇に少し白い模様をつけた顔を出す。

名前は九朗衛門。

今まで15年程釜石のある家で飼われていたのだが、住人が施設に入ることになり家も売りに出された。
飼い主が知り合いを通じ引き取って欲しいと連絡をしてきました。

ベルガーディアには池が二箇所あり、下の池には体長20cm程の金魚が30数引きいます。鯉は金魚の稚魚や卵を食べると聞き別の池で飼うことにしました。

この池は側溝をながれる沢水を引いていたのですが、震災後高台移転で住居が増え生活排水や下水を流すようになり汚染され池に引き込めなくなりました。以前はオニヤンマが羽化し皆で観察会をしていたのですが3年で全滅してしまい寂しい思いをしました。

今回九朗衛門の為、地下水(我が家の生活水)を一部出しっぱなしにして彼の住まいを確保することにした。家賃は勿論ただ、逆に持ち出し(電気量)が2,000円ほどアップした。

それでもステルス・九朗衛門はベルガーディアの愛すべき仲間になったし、またオニヤンマが戻ってくるかと思います。

彼の名前の由来は、前飼い主がクロちゃんと呼んでいたのですが我が家では既にカラスのクロウがいますので九朗衛門になりました。彼は改名に対し文句ひとつ言いませんでした。