「風の電話」癒しと再生への論理

「風の電話」が何故に癒しと、生命力の回復につながるのかという皆さんの疑問について、私は次のように考えています。

大切な人、愛する人を亡くした時、皆さんも含め世界中の誰もがその喪失感に悲しみを味わいます。これは何時の時代でも、どこの国でも変わらず同じように悲しみを抱えるという普遍的な感情であり、一つの法則みたいなものがあると考えています。

それは、人は皆「人生という物語を生きている」のだと言うことができます。

人は皆人生に夢とか希望を持って生きています。そして、それらを実現することに努力し感動もします。しかし、実現するまでの間それは夢であって現実ではありません。と云う事は、フィクション、作り話なのです。虚構です。ですから物語なのです。

物語の途中でそれを構成しているメンバーが亡くなり欠けてしまうと物語が続かなくなります。夢も希望もストップしてしまい絶望感を感じます。また、大切な人が亡くなることは、「人は他人によって生かされている」という概念から、自己存在の意義が失われ人生に虚しさを味わいます。従って、癒しには新しい自己存在の関係を見つけることが必要となります。それには、感性と想像力で新たな人生の物語を紡ぎ直す作業が必要です。

人間には、失われたものを回復させようとする精神の営みがあり、癒しには再会できる、再びつながれるという物語が必要となります。「風の電話」による自問自答は、それまでの物語の振り返りと新しい物語の創出に繋がります。つまり、線のつながっていない電話で自分自身に語りかけることは断ち切られた日々を一瞬でも取り戻すことになり、何が悲しいのか、何が辛いのか、何が苦しいのか自分の思考を整理することになります。いわば自己の発見であり、自己意識が言葉という形で現れることになり、遺された人は物語の新たな展開を意識しなければならず、それが生きる力を生み出し、絶望から希望へと意識の向け換えを促し、悲しみを抱えながらも新しい人生を生きるという再生につながっていると考えます。

絶滅危惧植物山椒バラの花

我が家の山椒バラの花。今年も6月初めに咲き始め、1週間程で花が終わってしまいました。この花は1日花で翌日には散ってしまいます。5㎝程の薄ピンクの花で陽の当たる方だけ咲いています。名前が示すように、葉が山椒とそっくりです。棘は数量、長さともに恐ろしいぐらいです。大分大きくなりすぎ(3mぐらい)剪定をしなければと思っています。

箱根、富士地方周辺に自生しているそうです。しかし、環境省レッドリストで絶滅危惧種に指定され保護されています。花言葉は「温かい心」

自然の生活リズムを取り戻す

日本三鳴鳥のひとつとされるクロツグミです。               朝5時30分、晴天が続き気持ちのいい朝です。今日は久しぶりに小鳥のさえずりを聴くかと補聴器を耳に、手にはお茶をたっぷり入れた茶碗を持ち庭に出た。日の出が嬉しいのは人間だけでなく、小鳥も樹木も草花も、すべての生きものは皆同じ思いでいるのだろう。様々な小鳥の喜びの声が一斉に聴こえてきた。 最初に聞こえてきたのがこのクロツグミの鳴き声だ。キョキョキョ,チョキンチョキンと聴こえるが、ものの本によるとキョロン、ピョロン、チョピリリ と鳴いているのだそうだ。

日本の他に中国の一部でのみ繁殖し、東南アジアで越冬するが、密漁と森林伐採で近年激減している。いずれ日本の山から消えてしまうのではと危惧されている。そのクロツグミが庭の芝生に来て何かをついばんでいた。今までは良い声で鳴く小鳥だとは思っていたが姿を見るのは初めてで、全体が黒く、腹部は白いまだら模様、くちばしと足が黄色と”地味お洒落”といった感じだ。今の時期、天気の良い日は一日中そのいい声を聴くことが出来ます。

昨年の五月、「キッキの森」の杉伐採と抜根で露出した石の処理をどうしょうかか考えていた。庭木の剪定が終わり、ジャガイモの植え付けも済んだところで石の処理として石垣積みをする事にした。手持ちのユンボは小型のため大きな石は吊れなく今あるところで活かすことにした。最終的に石垣を1、2mの高さに積み上げ、坂道を脇に造り車でも上がれるようにした。そして、そのコーナに動かせない石のテーブルと石の椅子を配置した。

昨年植えた桜が5年も経てば、その石のテーブルを囲んで花見ができるようになると思う・・・。生きる楽しみがまた増えた。

我が家の菜園、ジャガイモ畑、畝の一番手前は枝豆、次の一畝はニンジン、そして次の二畝は大根、ジャガイモ十二畝、ネギ、また枝豆、奥にはインゲン、モロッコ、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、唐辛子、カボチャ等々。そして、ハウスでは夕顔、メロン、スイカ、トマト、ナス、キュウリ、パセリ等。

今年は新型コロナウイルス騒ぎで、3月には「風の電話音楽祭」を延期決定をした、以後政府の緊急事態宣言による外出自粛となり、「風の電話」を訪れる人も僅かとなった。9年振りの静かな日々であり、ここに入植した当時の自然のリズムでの生活を取り戻すことが出来ている。国連では2030年に向けて、持続可能な開発目標とされているSDGsで17項目を策定し誰一人も取り残すことなく、より幸せに生活できるようにするとしている。その中の一つ気候変動対策のみならず熱帯雨林の破壊という環境問題が今回のコロナウィルス禍を生み出していると考えられていることにも目をむけ、「熱対雨林の保護」を通し野生動物が人の生活圏に入らない棲み分けをし動物由来の感染症を防ぐ追加の必要があると思う。

現代は科学技術が発達して何でもできるようになったが、この自然界にはまだまだ分からないことも沢山あると思われる。自然に対してあくまでも謙虚であり、征服してやろうとはゆめゆめ思わない事だ。ドイツのクラインガルテン、ロシアのダーチャ、フィンランドのモッキ,イギリスのアロット、スェーデンのコロニー、デンマークのコロニ・ヘーブ等々の休日農園、市民農園が今こそ日本の生き苦しい社会にとって必要であり、自然に親しみ共存する生活こそがコロナ禍後の新しいライフスタイルになるのではないだろうか。そして自然のサイクルのリズムに身を任せる時感謝と安らぎを得ることが出来るのだと思う。

ベルガ―ディア鯨山ガーデンの様子

今年は、「風の電話」音楽祭が、新型コロナウイルスによるイベント自粛措置を踏まえ延期になりました。

昨年の5月、今年の音楽祭の時期に花を咲かせ、会を盛り上げようとして植えたクリスマスローズが、見る人もない森でひっそりと咲いています。本来ならば多くの皆さんの眼を音楽と共に楽しませるはずでしたのに残念です。


今の時期、花木は梅、サンシュ、シュウガミズキ、沈丁花、椿、サザンカも花が少し残っている。草花では、水仙、水芭蕉、ショウジョウバカマ、春蘭、クリスマスローズ等です。

今の時期、新緑になる前に美しいのは苔の落ち着いた美しさで、裸木や庭石との対比は清々しさを感じる。

ロックガーデンの水仙、現在香りのいい日本水仙とラッパ水仙が咲いているがこれから様々な種類の水仙がが咲いてくる。他の花は、鹿の被害に遭うが水仙とヒガンバナだけは何の対策をしなくても大丈夫です。

今年は、1月から3月一杯メディアの取材、講演会をお断りしてガーデンの手入れに励んだ。お陰で20年間手付かずだったところまで整備することが出来た。

昨年11月には、風の電話を含むガーデンに対して「国際パブリックアート賞」を受賞したが、今年はガーデン「ベルガ―ディア鯨山」の年になりそうな予感がする。

東日本大震災から9年「風の電話」活動の実践から論理を考える

今日3月11日、yahooトップニュースに「風の電話」が取り上げられました。 日本農業新聞の記事天国へかける”風の電話” 癒えぬ傷と生きる 岩手県大槌町だ。読んでみると多少記者の創作が入っていると気付きます。

「風の電話」が創られたのは大震災の前年であり、従兄の死が契機となっているのが真相であり、翌年の大震災で多くの命が失われた現実に、震災遺族にもというより喪失感を抱えた全ての方々を対象に開放したものです。

大震災から9年目を迎えた今日、標記にあるように「風の電話」設置者としての今の気持ちを表してみたいと思います。

大震災では多くの人たちが亡くなりました。誰も望んで亡くなった人はいません。皆もっともっと生きたかったはずです。生きたくても生きられなかつた方たちが大勢います。たった一瞬で大切な人と二度と会えなくなり、今も辛い思いを抱えている方々が多くいます。そうした事実があるからこそ”生かされている”自分に気づかされ、心のより所を生み出す活動を続けることに自分の「生」を見出しています。

大切な人を失うことは大変辛いことです。しばらくは立ち上がれないでしょう。しかし、ある時、大切な人や共に暮らした家族や仲間との幸な日々や言葉を振り返る時、それまでの生活が過去ではなく、今になり新しい環境での生活を組み直さなければならないことに気付くことになるでしょう。

「風の電話」によるグリーフケアは、各個人が持っている自己回復力を呼び覚ますセラピストのいないセラピーであり、グリーフを抱えた方が自ら行うセラピーです。(人は他人から言われて変わることはめったにありませんが、自分が納得したことに対してはやってみようとし、変わることはあります。)

人は人生において夢とか希望を持って生きています。そして、それがあるから豊かな生き方につながります。しかし、夢や希望は現実でなく虚構の世界です。 いわゆる、フィクションです、作り話です。いわば物語と考えることが出来ます。そうです、人は人生において自分の物語を創り出し、その世界を生きていると考えることが出来ます。そして、最愛の人を失った時、遺された者はそれまでの物語を遮断されてしまいます。夢や希望もストップしてしまいます。特に、突然の災害、事故、自殺等の時は心の準備がなくこれからどうしたらいいのか混乱や絶望感を味わいます。

今までの夢が大きい程その度合いは大きくなります。従って、遺された人を癒すには物語を再び紡ぎ直すという作業が必要となります。そして、その作業には人の持つ感性と想像力が大切になってきます。また、人間には失われたものを回復しょうとする精神の営みがあり、癒しには亡くなった人に再会出来る、再びつながれるという物語が必要となります。この新たな物語を創出するのがその人の持つ感性と想像力なのだと考えます。

「風の電話」に来て、電話線のつながっていない電話で自問自答することは自己の発見であり、自我意識の表出になります。自分は何が悲しいのか、何が苦しいのか、何に対いて怒り抱いているのかが明確になります。その作業は、それまでの物語の振り返りと新しい物語の創出につながり、断ち切られた日々を一瞬でも取り戻すことになり、遺された人は物語の新たな展開を意識しなければなりません。それが生きる力を生み出すことにつながります。そして、絶望から希望へと意識の向け換えを促し、悲しみを抱えながらも新しい人生を生きるという力を生み出すと考えています。

意識の向け換えが出来たなら、今の現状をあなたの人生にとって必要なことなのだと受け入れることが必要です。受け入れることで一歩前に踏み出せることになります。 グリーフを抱えているあなたの自由を拘束している人は誰もいません。客観的に見れば、あなたが貴方の心に有刺鉄線を張り巡らし自由を奪っていると見ることが出来ます。あなたを拘束しているものは何もありません。

あなたは自由に行動できます。好きなことをやれます「風の電話」に来るのもいいでしょう。自分の好きなことをやってください。心を少し開き自然を素直に受け入れて下さい。人は本来自然の中で進化してきました。それは、現代であっても変わりありません。災害や事故で大切な人を失い、心が傷つき生命力が低下した時、緑を観たり育てたりすることで心が癒され生きる力を得ることは科学的に立証されています。東日本大震災の時も仮設で暮らし、心が傷ついた人たちが「何もいらない1つの鉢植えがあれば良い」と話す方たちが数多くいました。 緑は人間が生きていく上で生理的にも心の安定にも必要な要素になっています。心が傷つき生命力が低下した時、自然の中に身を置き、自然のサイクルを感じ、自然のリズムに身を委ねて下さい。勿論「風の電話」があるベルガ―ディア鯨山を訪れるのも良いでしょう。ここは、英国王室のキューガーデンより「このガーデンこそイングリッシュガーデンそのものだ」と評されています。(リップサービスだったかも)心の傷を抱え今も苦しんでいる皆さんに是非1度訪ねてみて頂きたいと思っています、お待ちしています。

ベルガ―ディア鯨山