「風の電話」癒しと再生への論理

「風の電話」が何故に癒しと、生命力の回復につながるのかという皆さんの疑問について、私は次のように考えています。

大切な人、愛する人を亡くした時、皆さんも含め世界中の誰もがその喪失感に悲しみを味わいます。これは何時の時代でも、どこの国でも変わらず同じように悲しみを抱えるという普遍的な感情であり、一つの法則みたいなものがあると考えています。

それは、人は皆「人生という物語を生きている」のだと言うことができます。

人は皆人生に夢とか希望を持って生きています。そして、それらを実現することに努力し感動もします。しかし、実現するまでの間それは夢であって現実ではありません。と云う事は、フィクション、作り話なのです。虚構です。ですから物語なのです。

物語の途中でそれを構成しているメンバーが亡くなり欠けてしまうと物語が続かなくなります。夢も希望もストップしてしまい絶望感を感じます。また、大切な人が亡くなることは、「人は他人によって生かされている」という概念から、自己存在の意義が失われ人生に虚しさを味わいます。従って、癒しには新しい自己存在の関係を見つけることが必要となります。それには、感性と想像力で新たな人生の物語を紡ぎ直す作業が必要です。

人間には、失われたものを回復させようとする精神の営みがあり、癒しには再会できる、再びつながれるという物語が必要となります。「風の電話」による自問自答は、それまでの物語の振り返りと新しい物語の創出に繋がります。つまり、線のつながっていない電話で自分自身に語りかけることは断ち切られた日々を一瞬でも取り戻すことになり、何が悲しいのか、何が辛いのか、何が苦しいのか自分の思考を整理することになります。いわば自己の発見であり、自己意識が言葉という形で現れることになり、遺された人は物語の新たな展開を意識しなければならず、それが生きる力を生み出し、絶望から希望へと意識の向け換えを促し、悲しみを抱えながらも新しい人生を生きるという再生につながっていると考えます。