募金をお願いします

しばらくご無沙汰していました。昨年末より体調を壊し、入退院を繰り返していましたがもう大丈夫です、元気になりました。最近は以前のように、庭の手入れに毎日汗を流しております。

近況をお知らせしますと6月6日、大槌宮沢賢治研究会は詩碑「曉穹への嫉妬」建立に向け追い込みをかけています。まず、イーハトーブ三陸海岸のテーマ性のあるツアー構築のための沿岸各市町村(北三陸)の詩碑建立関係者との交流会を持ち連携していくことを確認しております。

今後は釜石をはじめ大船渡、陸前高田までの交流会を計画しています。

7月8日、詩碑建立に当たり林風舎の宮沢和樹代表にお会いして、計画を説明し快く許諾を頂いております。7月15日には環境省大船戸渡管理保安事務所に国立公園内の詩碑設置許可願いを申請しています。このように9月19日の除幕式に向け各自頑張っている所です。

然しながら、建立資金が未だ計画に達していません、皆様にお願いになりますが、趣旨にご賛同いただけますならば募金を宜しくお願いいたします。

講演会の開催について

大槌宮沢賢治研究会の講演会を開催します。東日本大震災から5年が経過しても、大切な人を亡くした喪失感は今も大きく、まだ一歩も前に進めないでいる方もいます。賢治の「心の軌跡」をたどることが、それらの方々の意識の向け換えのキッカケになりますように。

日  時: 2016年5月4日(水・祝)14:00〜16:00
場  所: Remember HOPE 浪坂海岸ヴィレッジ
(三陸花ホテルはまぎく北側 浪坂海岸内)
主  催: 大槌宮沢賢治研究会、ベルガーディア鯨山
参加費 : 無料(予約不要)
問い合わせ: ベルガーディア鯨山 佐々木 0193-44-2544

御褒美をもらう

去る9月22日、第25回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の受賞式が花巻市の主催でなはんプラザで行われました。

私もイーハトーブ賞奨励賞をいただきました。選考対象は21件。選考理由は、東日本大震災後、電話線のない電話ボックス「風の電話」を設置し被災した方が亡くなった親しい人と語る場所として公開した。又、2012年には、被災した児童を念頭に、石造りの私設図書館「森の図書館」を開設。そこで賢治に関連した展示や朗読も催している。

親しい人を失った人に対する心のケアや、地域の共同性の再構築を、造園、建築、芸術などを通じて行っていることは、宮沢賢治の名に置ける奨励賞にあたいする。というものでした。自分とすれば、賢治を意識したことはなく、事務局から連絡をもらったときも何かの間違いではないかと思ったほどです。

自分以外の名の方は、長年賢治の研究や作品を発表されている方々であり妥当だと思いますが、自分の場合まだこれと言ったものはなく、奨励賞は正にこれから何かをするであろうという、それを奨励する意味合いの御褒美だと思っています。

さいわいなことに大槌宮沢賢治研究会は、大震災後、生死の境を生き延びた我々は何時の時代でも、どんな状況でも無念のうちに亡くなった方々や、これから生まれてくる子ども達に対して責任があることを自覚しています。ただ、どのように生きればいいのか誰も教えてはくれません。どこからも声は聞こえてきません。しかし、我々は賢治の生き方にひとつのヒントがあると思っています。賢治の信条であった「自己犠牲」と、誰か人のためにと言う「利他の精神」です。これ等を追求していく先に「ほんとうの幸せ」があると思っています。

また、人口減少が急速に進む中で、交流人口拡大は地方に於ける数少ない課題のひとつです。単なる災害復旧でなく、復興のためには「新しい歴史の創造」が必要になってきます。

大槌の地に賢治と関わりのある詩碑を2基建立し、それを使い、賢治が1925年「異途への出発」としてイーハトーブ三陸海岸を旅した、テーマ性のある周遊ルートを沿岸市町村と協力して確立、観光開発することを計画しています。このようにこれからが受賞の真価を発揮する時ではないかと思っています。

第25回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞発表になる

7月のはじめ宮沢賢治学会事務局から電話がありました。「イーハトーブ賞奨励賞の候補になりました」「これから花巻市に答申します」「決定ではないので外部には漏らさないでください」何のことでしょうか?と私が訊ねると風の電話と森の図書館の活動が賢治の精神を実践しているのだとしそれに対する受賞だと説明を受けました。

それでも納得がいかずに、現在「大槌宮沢賢治研究会」の活動を展開中であり、それの間違いでわないのですか(それにしてもなんか早すぎるとは思ったけれど)と訊ねても風の電話・森の図書館の活動に対しての受賞ですと言いますのでとりあえず大変嬉しいです、ご苦労様でしたと電話を置いた。

それからインターネットで宮沢賢治賞を検索してみると、1991年の第1回から始まり今年は第25回目に当たります。受賞者の顔ぶれを見てみると第9回の井上ひさし、第23回シンセサイザーの富田勲、第24回影絵創作の藤代誠冶等々第一線で活躍している、或いはされた名前が紹介されています。私のような者が活動の自覚がないまま受賞していいのだろうか、疑問が残りました。

7月23日再び学会の事務局長より電話があり「イーハトーブ賞奨励賞に決まりました。発表は7月27日午前11時になります、それまでは外部には漏らさないようにして下さい」ということでした。

選考経過および理由についてには、次のようなことでした。大槌町の高台に自ら造園した庭園に電話線のない電話ボックス「風の電話」を設置し、東日本大震災で被災した方が亡くなった親しい人と語る場所として公開した。それに対する大きな反響を受けて、佐々木氏は、主に被災した児童を念頭に、石造りの私設図書館「森の図書館」を立て、そこで賢治に関連した展示や朗読も催している。親しい人を失った人に対する心のケアや、地域の共同性の再構築を、造園・建築・芸術等を通して行っていることは、宮沢賢治の名における奨励賞にあたいする。というものでした。

確かにそれ等の活動はやってきましたが、ごく当たり前のことをしてきただけと言う思いはあります。震災後被災地の私達は多くの人達から「縁」だ「絆」だと多大な支援を受けてきました。この事実を見る限りそれらの活動をされた皆さんにも十分資格があると思われます。

我々はこの自然界において深い繋がりで影響し合って生きています。誰も一人では生きられないのです。その生き方の原点を今回の大災害は再認識させてくれました。被災地で生き残った我々は津波で犠牲になった方々、或いは今後生まれてくる子ども達に対して責任があります。「どのような生き方をしなければならないか」。生き残った我々は当然考え続けなければなりませんし、考えたことを行動に移してゆかねばなりません。

宮沢賢治の生き方に「被災地の人々がどのように生きなければならないか」ひとつのヒントを見ることが出来ると考えています。賢治の生涯を貫いた信条は「自己犠牲」と誰か人のために役立つという「利他の精神」ではないかと思っています。

これ等の追求して行く先に賢治の言う「ほんとうのさいわい」があると考えています。

ここに考えが至り、それを実践した時にはじめてイーハトーブ賞奨励賞に相応しい活動が出来ていると感じれるのではないだろうか。

今年2月15日に発足した「大槌宮沢賢治研究会」は、これ等の追及と「賢治と大槌の関わりのある詩碑を建立し」大槌の新しい歴史の創造と、これ等を活用した交流人口の拡大を図ることを目的とし現在募金活動をしております大槌の皆さんで、大槌の新しい歴史を創造していきたいと思っています。なにとぞ ご協力をよろしくお願いいたします。

連絡先:ベルガーディア鯨山 佐々木 格(電話:0193-44-2544)

大槌宮沢賢治研究会発足する

15日午後13時定刻どうり、「宮沢賢治と大槌の関わりを知る」というタイトルの会が開かれた。23名の参加者があり、大槌の新しい歴史を創造するのだと言う思考が大切だと言う話の後、薔薇輝石にまつわる話として、賢治は盛岡高等農林学校に在籍中薔薇輝石の標本や大鉱物学(下巻)で知っていた。しかし、賢治自身が探した記録は無い。

賢治のことを知り薔薇輝石を探しに大槌のマンガン鉱山を歩き、今でもマンガン鉱石のズリ(餞別したカス)の中から見つけられること、また薔薇輝石を詠んだ詩「暁穹への嫉妬」について紹介する。

「旅程幻想」については、賢治は宮古を1月8日午前0時発の三陸汽船に乗り、2時30分山田湾の船着場で下船する。その後、月明かりの中16kmの浜街道を海に沿い、いくつもの峠を越えたり萱の野原を通ったりしてひとりここまで来たのだけれどもいまこの荒れた河原の砂の、うす陽のなかにまどろめば、(2時半から16キロの道を歩き疲れと眠気から眠ってしまったと読める)肩またせなのうら寒く何か不安なこの感じは確かしまいの硅板岩の峠の上で放牧用の木柵の楢の扉を開けたままみちを急いだためらしく(眠った後、肩またせなのうら寒いのは何も心理的、精神的不安感だけではなく、賢治が言うように道を急いだため物理的に体が汗ばんでいたと推定する。目を覚ましたときに少し寒く感じた。また硅板岩は大槌浪板地区にある砕石場の岩石、ホルンフェルスの一形態の石のことを指している。更に、当時山田町四十八坂から浪板にかけては牧場があり牛を放牧していた。かって浪板は製塩が盛んに行われ、その塩を内陸に運ぶのに牛を使っていた。また浪板地区には「浪板牛方節」と云う牛方達が旅先の宿で余興に歌われた伝承芸能が残っている。また当時の「塩の道」も深い木立の中に痕跡が残っている。)

このように詩の背景から賢治は間違いなく山田で下船し、浜街道を歩いて大槌に入っている。それでは大槌川、小鎚川のどちらで休んだかとなると、コース的にみて大槌川と言えるのだが詩の背景から何か読み取れないか見てみた。

そこの光ってつめたいそらや・・・・その川上の幾重の雲とつめたい日射しの格子のなかで何か知らない巨きな鳥がかすかにごろごろ鳴いている(ここでは空、雲、日射しと空に関した言葉が並び、山と云う言葉は出てこない。

小鎚川では、川の上流遠くに標高800メートルの新山が見え、いかにも詩で表現するのにふさわしい情景です。その場合い、空と併せて山のことも詠むのではと考えられます。一方、大槌川は河原に佇んでみると近くの冬の裸木の山が迫り、何ら詩情を呼び起こすにも難しい風景に思われます。従って視線は、空とか雲、日射しに向かい、見えないかすかな雷の音を感じるという山の入らない表現になったのではと考える。)

以上のことから賢治が休んだ河原と云うのは大槌川の河原と推定します。

この後、「大槌 宮沢賢治研究会」の立上げには14名の参加者を得て、会の役員の選出今後の活動目的を話し合い、当面の活動として募金集めをし、賢治の詩碑建立を来年の賢治が没した9月21日までにすませ、その日に除幕式を執り行うことを決め16時30分に会を終了する。

「大槌 宮沢賢治研究会」を今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。