長年求めていた研磨機を手に入れる

2013年4月~5月にかけて「宮沢賢治童話展」を森の図書館で開催した。賢治童話展事体は珍しい催しではなく、何か目玉商品になるものが必要だと考えた。

賢治さんが盛岡高等農林学校時代に、標本で見た薔薇輝石が大槌産出だったことを知り、大槌浪板鉱山跡に探索に行き20㎝程の薔薇輝石を見つけた。それを期間中展示し又、チェロと朗読のコンサート等も行い盛会裏に終わることが出来た。

その時以来、その薔薇輝石を磨き大槌の名産品にできないか構想し、研磨機を注文してみたが部品のモータが入荷しないとかで1年以上経過し忘れていた。しかし、ベルガ―ディア鯨山に来た釜石のYさんが「貴金属加工で使っていた古い研磨機があるのだが使うならあげるよ」と言うので、軽トラックで行き貰って来た。集塵機付きの研磨機で、重いだけでなく手入れをすれば立派に使える物だ。

早速、研磨機の砥石部分を交換した。なかなか良い、後はバフ部分を交換すればOKだ。只、軸サイズが1.3㎝で砥石の穴サイズが1.27㎝のため丸ヤスリで削って軸に収めた。バフに関しては多少の弾力があるので問題はないと思う。

今度時間を作り、砥石の粒度の違う手持ちのグラインダーと合わせ、研磨のテストをしてみようと思っています。うまくいったら次回報告します。

石と賢治のミュージアム見学と現地賢治の会との交流連携を終えて

写真中央鈴木東蔵工場長と宮沢賢治と砕石工場に働く人たち

       東山町にある宮沢賢治詩碑「まづもろともに」

梅雨入りしてから雨が降らず、ガーデン作業がはかどりツアー報告が遅れていましたが、ようやく雨の日になりPCに向かうことが出来ました。

梅雨の時期で、東山町へのツアーは天候が心配されたが好天に恵まれ、楽しい1日を過ごすことが出来た。

東山町の東北砕石工場と言いますと、賢治が昭和6年春から技師として働き始めたこと 、火山性特有の酸性土壌の改良に石灰を利用して農産物の収穫を図りたいという強い意思が働いた。その激務の為その年の秋に出張先の東京で倒れ、その後花巻で病床に伏すことになった。その年の11月に手帳に記されたのが「雨ニモマケズ」だった。

昨年からの各市町村宮沢賢治関係者、団体と交流連携する中で地元の者でなければ分からない情報を掘り起こし、その企画を基に賢治フアンを交流人口拡大につなげたいとする我々大槌宮沢賢治研究会の想う成果が今回の交流でもあつたのではないだろうか?

まず写真上の採石場の人達の人形だが14人の人形体があるが、1人は全く関係ない人物がいるのだそうです。人形を作る時に自転車で魚の行商に来ていた男が(右から2人目)紛れ込み砕石工場作業者として陳列されている。

鈴木東蔵工場長の長男、鈴木実さんが陸前高田高校校長の時、谷川徹三氏が揮毫された「まづもろともに~」を碑銘板にしていること、今年、東山町の詩碑が建立70周年を迎え、徹三さんの息子の谷川俊太郎さんと孫の谷川賢作さんを迎えて「賢治とともに詩と音楽の世界へ」を記念事業として次の世代のこどもたちに伝えている。

昭和23年12月10日詩碑は建立されている、碑文の揮毫は谷川徹三氏であるが当初、長坂村青年団団長だった鈴木実氏は高村光太郎氏に詩文と揮毫をお願いしに行ったところ筋を通せと大喝され、宮沢清六氏に相談に行き谷川徹三氏を紹介されたということです。その後の徹三氏の揮毫ができるまでに1年程要したこと、出来てきた揮毫には宮沢賢治の名前も谷川徹三氏の書名もなく後日、「宮沢賢治記念のために 谷川徹三 書」と刻まれたこと等。

詩碑建立の為に当時の長坂中学校の生徒たちが砂鉄川から砂利を運び上げた話や土台石を青年団が竿につるして担ぎ上げた様子等知見を得ることが出来た。

それにつけても平成27年9月23日の普代村の「宮沢賢治詩碑祝いの集い」東村山町の「宮沢賢治まづもろともに建立70年記念事業」が町村民一体となつた活動として実行できていることに強い羨望を感じる。町としても予算化し応援したいのでと要望書を出させておいて、「そんなことは言っていない」と白を切る態度の行政とは差がありすぎる、どんな町の復興になるのか思いやられる。

マイクロバスを貸してくれた南部屋産業の小笠原社長、長時間の運転を務めた山崎会員、東山現地で交流してくれた藤野前ミュージアム館長、東山賢治の会の佐藤会長さん方に改めてお礼申し上げます、今後ともどうぞよろしくお願いします。

石と賢治のミュウジアム見学及び現地賢治の会と交流会について

1、日  時:2017年 6月17日(土)

2、場  所;一関市石と賢治のミュウジアム

3、主  催;大槌宮沢賢治研究会

4、目  的:宮沢賢治に関する知見を広める。各地の賢治の会との交流連携。

5、費  用:ガソリン代、お土産代は人数割り

6、スケジュール

8:45(集合)マスト
9:00(出発)マスト
9:30(乗車・トイレ)道の駅 釜石仙人峠 ※中村さんピックアップ
9:40(出発)道の駅 仙人峠→住田→陸前高田→一関ルート
12:00(昼食)蔵元レストランせきのいち(世嬉の一酒造駐車場) ※昼食代(目 安1,500円)
12:50(出発)蔵元レストランせきのいち(世嬉の一酒造駐車場)
13:15(見学)石と賢治のミュージアム/東北砕石工場 ※入場料大人300円
14:30(出発)石と賢治のミュージアム/東北砕石工場
14:50(買物)道の駅かわさき 川の灯
15:10(出発)道の駅かわさき 川の灯
15:30(見学)宮沢賢治詩碑(東山支所駐車場) ※地域振興課金野氏了承済
15:45(出発)宮沢賢治詩碑(東山支所駐車場)→陸前高田→住田ルート
18:00(降車・トイレ)道の駅 釜石仙人峠 ※中村さん降車
18:05(出発)道の駅 釜石仙人峠
18:30(到着)マスト前

18;40(解散)マスト前

参加ご希望の方は6月15日までご連絡ください(0193-44-2544 佐々木)

 

詩碑「暁穹への嫉妬」除幕式典のようす

前日、台風16号の影響か時折雨が降っていたので心配したが、当日は曇り日であったが降雨はなく、式典が始まる時間帯には80名ほどの人が集まり除幕の瞬間を固唾を飲んで見守った。

除幕された詩碑は高さ190cm台座を入れると230cm、幅120cm、厚さ30cm程の安山岩の自然石に直彫りされた風格のあるものだ。台座付近には、賢治さんが海岸近くを歩いている時に暁穹を見た雰囲気を表すかのように、石がごろごろと転がっている。

浜垣誠司氏による詩「暁穹への嫉妬」の朗読と解説の後、地元子供たちの「星めぐり」をヴァイオリンとチェロの演奏があり、吉里吉里鹿子踊り保存会による鹿子踊りの奉納と続き60分にわたる式典を無事終えることが出来た。

第2部は元静岡新聞主筆原田誠治氏による講演「宮沢賢治に学ぼう」があり、今の政治家は賢治さんの生き方と逆の生き方をしている人が多いと、現役の小沢一郎さんをあげ同じ岩手県人としてどこでどう間違えたのか残念でならないと話す。私は、権力やお金をいくら持っても尊敬されることはない、普遍的価値の持つ知的財産をどれだけ残すかということに尽きると理解した。

第3部は除幕式を祝う祝賀会だ「雨ニモマケズ」の詩吟あり、コスミスのライブありと素晴らしい祝賀会だった。詩碑の建立は出来上がりで終りではなく、農業に例えれば種をまいた段階です。これをこれから育て花を咲かせ実を収穫できるようにしなければなりません。


賢治さんの精神をこれから生きる子供たちに震災と共に語り継ぎ、災害を乗り越えて地域の復興に寄与する計画を進めていかなければなりません、まだまだ全国の皆さんにご協力、ご指導を宜しくお願い致します。

宮沢賢治詩碑「暁穹への嫉妬」建立除幕式典開催いたします。

9月19日午後13時30分より大槌宮沢賢治研究会主催の宮沢賢治詩碑「暁穹への嫉妬」の建立除幕式典を開催いたします。

2011年3月11日、東日本大震災で大槌町は壊滅的な被害に見舞われ、多くの貴い命を失いました。しかし、全国からの

支援に助けられ、生き残った私達には亡くなられた方々やこれから生まれてくる子供たちに対して、どのように生きるかを示す責任があります。

私たちは宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という考えのもと「利他の精神」がその道しるべになると考えます。

今「心の復興」が声高に叫ばれていますが、「心の復興」とはどのようなことなのでしょうか?

私は大きな意味で被災地に暮らす皆さんが生きる目的、目標を取り戻すことだと考えます。

これは私たち大槌宮沢賢治研究会が活動精神の中核としている「どのように生きるか」に相通じるものがあると思っています。しかし、目に見えない精神論で人々を啓発することは難しく、それを見える形にしたのが大槌と関わりの深い薔薇輝石を詠んだ詩碑「暁穹への嫉妬」であり、2基目として建立する「旅程幻想」なのです。

これは宮沢賢治の詩碑ですが建立の精神を理解してもらえれば、亡くなられた方々にとっては慰霊の碑となり、これから生まれてくる子供たちにとっては賢治さんに触れる場を共有することになり、震災を語りつぐ記念碑になると考えます。

また、大災害を悲惨な記憶としてだけ残すのでなく、東北人の、岩手県人の魂や忍耐強さ、津波で打ちのめされたけれど地震や海と生きていくたくましさを伝え、災害を乗り越えて新たな経済と雇用を創出しなければ町が再び甦ることはあり得ないと考える。

従って、詩碑のあるイーハトーブ他市l町村と交流と連携を深め、テーマ性のある周遊ルートの開拓など、教育と文化の高い豊かな町づくり、観光による交流人口の拡大に寄与する計画を進めなければならないと考えています。

尚、2基目の「旅程幻想」の詩碑は当初大槌川河原を考えていましたが、賢治さんと子供たちの触れ合う場を共有するということを考えますと、間もなく開校する小中一貫校大槌学園の校庭或いは校門付近が適当ではと考えています。

結びになりますが、今回の詩碑「暁穹への嫉妬」建立に際しましてお力添え頂きました全国の皆様方にこの場をお借りして心より感謝申し上げます、有難うございました。

大槌ご来訪の折は是非見て頂きたいと思います。