
北海道在住で「千の風になって」の訳詩、作曲の新井満さんが明日11日大槌町中央公民館で行われる特別講演のため大槌入りをしました。
講演に先立ち今日は「風の電話」を訪れ、91歳で亡くなった元助産婦のお母さんに電話をしていました。
お母さんに繋がりましたかと聞くと「かすかに声を聴くことが出来ました」と話されていました。
北海道では羊を飼っていて、夕方5時頃は羊の散歩をさせているのだそうです。
明日11日、東日本大震災のつき命日の講演会を心より期待しています。

心を癒し育む、地図にない手作りの田舎づくり。

北海道在住で「千の風になって」の訳詩、作曲の新井満さんが明日11日大槌町中央公民館で行われる特別講演のため大槌入りをしました。
講演に先立ち今日は「風の電話」を訪れ、91歳で亡くなった元助産婦のお母さんに電話をしていました。
お母さんに繋がりましたかと聞くと「かすかに声を聴くことが出来ました」と話されていました。
北海道では羊を飼っていて、夕方5時頃は羊の散歩をさせているのだそうです。
明日11日、東日本大震災のつき命日の講演会を心より期待しています。
8月6日、チェロコンサートがあった午前中のことです。2組の親子10人がベルガーディアの庭で遊んでいて3人がスズメバチの被害にあいました。お客さんに初めての被害者です。
近くに蜂の巣があるのではと思い、町役場から蜂の巣退治の防護服を借りてきました。ネットで調べると、退治すのには明け方が良いとあつたので翌朝4時半に起き、防護服に身を包みました。本当に大丈夫か不安はあつたがやるしかないと意を決して庭に出てあたりを探しまわると、高さ1メートル位のドウダンツツジの刈り込んだ枝の中に葉に隠れるように直径25センチほどの巣がありました。通路のすぐ脇ですがよほど注意して見なければわかりません。
「鳥も鳴かずば撃たれまい」、じゃないですが「ハチも刺さずば討たれまい」とまずハチマグナムジェットで攻撃開始、敵はおっとり刀(いや針)で応戦してきます。敵の本丸(巣)を潰そうと思ったがより以上の援軍が出てきてはこちらも危ういと考え直し、鋸で枝ごと切り取ることにした。鋸を使っている間にも敵はどんどん出てきます。手といい、覆面の部分といいどんどん襲ってきます。左手袋に止まつた2匹はいくらてを振っても払ってもとれません。
切り取った枝ごとビニール袋に入れガムテープで口を塞ぎ、フーッと息を吐きながら手袋を見ると未だ2匹のハチが止まっています。よく見る口で手袋に噛み付いた顎が引っかかっているようでした、右手で引き剥がし地面に叩き付けました。それにしても恐るべしスズメバチ。更にそれの上を行く防護服かくて暁の決戦は30分足らずで決着がつきました。
敵の本丸を落とし一段落したつもりでしたがそれからが又大変、城を失ったハチは一日中あたりを飛び回り人の姿を見るとブーンブーンと脅しをかけてきます。庭で温室工事をしていた大工さんは仕事が半分も進まなかったとぼやいていました。
風の電話の蜂の巣については、三角屋根の何処かにあるようですがこちらは屋根を壊すわけにもいかずめくら滅法ハチマグナムジェット噴射するのですが退治された様子は今のところありません。未だ立ち入り禁止です。
8月6日、昨日の三陸花ホテルロビーに続きベルガーディア鯨山森の図書館でコンサートが開かれた。
仙台フィルハーモニー管弦楽団に副主席チェロ奏者として在籍している、吉岡知広さんの「是非に」との思いで実現しました。彼が言うには、「音楽とは本来こういう所で少人数でやられたものだ」ということでした。
音の響きは非常に良く、聴衆も9人、建物も彼が学んだヨーロッパが想い出されるという雰囲気に、エルガーの愛の挨拶 Op.12からチェロの豊かな音色が響いた。
今までチェロ奏者は田中さん、土田さん、吉岡さんと3人の方が演奏しているが夫々素晴しい至福の時間を堪能させて頂いています。これも皆槌音プロジェクトの臺さんのおかげです。感謝いたします。
今朝、風の電話ボックスの掃除を終えて外に出たところ、頭の辺りでブーンと音がするので払いのけたら手に鋭い痛みを感じました。手を振ったところ今度は首のあたりに同じ痛みを感じたので両手を振り回しながら家に逃げ帰りました。その時は蜂の姿は特定できませんでした。
すぐに痛みがじんじん襲ってきました。蜂に襲われるのも4回目になりますが首を刺されたのは初めてでその痛さは半端ではありません。
風の電話には毎日どなたかが来ており、誰が襲われても事件でありすぐに取り除かねばと服とズボンを3枚づつ重ね着し、首にはタオルを巻き、帽子にネットをスッポリかぶり、ハチジェットを構えボックスの側まで行ったが蜂の姿が見えません。最初脇の草むらにジェットを噴射したが異変はない。そのうち屋根のあたりに1匹、又一匹と集まってブーンブーンと威嚇し始めました。スズメバチだ!こちらは完全武装しているとはいえその怖さは充分知っています。
たむろしている所めがけてバズーカ攻撃、彼等が退散したところで敵の本陣を一揆に攻めようとしたのですがその本陣の巣が見当たらない。敵もさるもの三角屋根の内に本陣を巣くっていると見え無駄打ちのバズーカも遂に弾きれ,後は退却せざるを得ませんでした。
殲滅させれなかったとなれば電話に来た人に危害が及ぶのを避けなければならなく、ロープを張って張り紙を出すことにした。
余りにも暑かったので重装備を脱ぎ捨て再度激戦地にいくと本陣警護の敵が一杯集まり騒いでいます。これでは当分の間申し訳ありませんが皆様の安全のため使用禁止せざるを得ません。どうかご了承いただきたいと思います。
それにしても首は痛いなー。
7月のはじめ宮沢賢治学会事務局から電話がありました。「イーハトーブ賞奨励賞の候補になりました」「これから花巻市に答申します」「決定ではないので外部には漏らさないでください」何のことでしょうか?と私が訊ねると風の電話と森の図書館の活動が賢治の精神を実践しているのだとしそれに対する受賞だと説明を受けました。
それでも納得がいかずに、現在「大槌宮沢賢治研究会」の活動を展開中であり、それの間違いでわないのですか(それにしてもなんか早すぎるとは思ったけれど)と訊ねても風の電話・森の図書館の活動に対しての受賞ですと言いますのでとりあえず大変嬉しいです、ご苦労様でしたと電話を置いた。
それからインターネットで宮沢賢治賞を検索してみると、1991年の第1回から始まり今年は第25回目に当たります。受賞者の顔ぶれを見てみると第9回の井上ひさし、第23回シンセサイザーの富田勲、第24回影絵創作の藤代誠冶等々第一線で活躍している、或いはされた名前が紹介されています。私のような者が活動の自覚がないまま受賞していいのだろうか、疑問が残りました。
7月23日再び学会の事務局長より電話があり「イーハトーブ賞奨励賞に決まりました。発表は7月27日午前11時になります、それまでは外部には漏らさないようにして下さい」ということでした。
選考経過および理由についてには、次のようなことでした。大槌町の高台に自ら造園した庭園に電話線のない電話ボックス「風の電話」を設置し、東日本大震災で被災した方が亡くなった親しい人と語る場所として公開した。それに対する大きな反響を受けて、佐々木氏は、主に被災した児童を念頭に、石造りの私設図書館「森の図書館」を立て、そこで賢治に関連した展示や朗読も催している。親しい人を失った人に対する心のケアや、地域の共同性の再構築を、造園・建築・芸術等を通して行っていることは、宮沢賢治の名における奨励賞にあたいする。というものでした。
確かにそれ等の活動はやってきましたが、ごく当たり前のことをしてきただけと言う思いはあります。震災後被災地の私達は多くの人達から「縁」だ「絆」だと多大な支援を受けてきました。この事実を見る限りそれらの活動をされた皆さんにも十分資格があると思われます。
我々はこの自然界において深い繋がりで影響し合って生きています。誰も一人では生きられないのです。その生き方の原点を今回の大災害は再認識させてくれました。被災地で生き残った我々は津波で犠牲になった方々、或いは今後生まれてくる子ども達に対して責任があります。「どのような生き方をしなければならないか」。生き残った我々は当然考え続けなければなりませんし、考えたことを行動に移してゆかねばなりません。
宮沢賢治の生き方に「被災地の人々がどのように生きなければならないか」ひとつのヒントを見ることが出来ると考えています。賢治の生涯を貫いた信条は「自己犠牲」と誰か人のために役立つという「利他の精神」ではないかと思っています。
これ等の追求して行く先に賢治の言う「ほんとうのさいわい」があると考えています。
ここに考えが至り、それを実践した時にはじめてイーハトーブ賞奨励賞に相応しい活動が出来ていると感じれるのではないだろうか。
今年2月15日に発足した「大槌宮沢賢治研究会」は、これ等の追及と「賢治と大槌の関わりのある詩碑を建立し」大槌の新しい歴史の創造と、これ等を活用した交流人口の拡大を図ることを目的とし現在募金活動をしております。大槌の皆さんで、大槌の新しい歴史を創造していきたいと思っています。なにとぞ ご協力をよろしくお願いいたします。
連絡先:ベルガーディア鯨山 佐々木 格(電話:0193-44-2544)