大槌宮沢賢治研究会の恒例行事となっている薔薇輝石探索会を行います。
- 開催日:12月9日(土)
- 時 間:9:00~12:00
- 集合場所:浪板第2仮設前
- 準備する物:ハンマー、ゴーグル、軍手、水筒
- 山を歩きますので長靴又は、トレッキングシューズ着用して下さい。
尚、当日の18:00~21:00ce-cafeに於いて、忘年会を開催いたします。会費は3000円(飲み物代別途)どちらも誰でも参加できます。希望者はご連絡ください。電話 0193-44-2544 佐々木まで。(7日〆切)
心を癒し育む、地図にない手作りの田舎づくり。
大槌宮沢賢治研究会の恒例行事となっている薔薇輝石探索会を行います。
尚、当日の18:00~21:00ce-cafeに於いて、忘年会を開催いたします。会費は3000円(飲み物代別途)どちらも誰でも参加できます。希望者はご連絡ください。電話 0193-44-2544 佐々木まで。(7日〆切)
去る10月9日、一関市石と賢治のミュージアムの「ブドリとネリの会」の皆さん21名が大槌宮沢賢治研究会との移動研修にやってきました。
研修の目的は3.11大震災で大被害と多数の被災犠牲者を出した大槌町で宮沢賢治に繋がる復興活動を展開している大槌宮沢賢治研究会の人々の話と「風の電話」や「森の図書館」新たに建立された賢治詩碑などの見学をし、また復興が進む町の現状、その現場を訪ねるというものでした。
10時30分の到着予定が1時間ほど遅れたため、私の講話「風の電話と宮沢賢治研究会活動」と宮村副会長の「心と体の復興を目指して」の講話は急ぎ足の内容で皆さんに十分内容が伝わったか心配しています。
「風の電話」、「森の図書館」見学を簡単にすまし、近くの民宿で豪華な昼食をいただきゆっくりくつろいだ後、宮沢賢治詩碑「暁穹への嫉妬」を見学、記念撮影の後大槌町内の復興状況を見学、ひょっこりひょうたん島のモデル蓬莱島を当会員の赤崎幾哉さんの名ガイドで楽しく案内して頂きました。
我々大槌宮沢賢治研究会は賢治の詩碑をめぐる新しい切り口の物語性のあるツアーを企画しています。今日まで数多くの研究者が賢治についてその研究成果を発表していますが、その地域、地元の人でなければ分からない逸話等々を掘り起こし、それらを地元の人に語ってもらう、その為の交流・連携を進めています。北三陸、南三陸そして内陸の一関と交流を進めてきました、次には遠野、花巻、石鳥谷等賢治の会は至る所にあります。我々もまだ出来たばかりの会ですが、数多くの会と交流させていただき見聞を広めていきたいと考えています。どうかよろしくご指導をお願いいたします。
大槌宮沢賢治研究会は昨年9月に1基目の詩碑「暁穹への嫉妬」を建立、除幕式典をした。12月、大槌町に2基目となる詩碑「旅程幻想」のイメージ図を町役場に提出し駅前広場或いは駅前公園に設置させて欲しいと伝えていた。
又、機会あるごとに「どうなったか」進捗状況を確認していた。しかし、本年度は駅舎の検討で広場、公園に関しては来年度になると聞いていたのだが、10月4日に役場より突然に話を聞きたいと連絡があり、復興町づくり班の担当者と打ち合わせする機会を頂いた。予定地として駅舎の隣12m×15mの空き地を考えているという話だった。2日後現地を見て、大槌の玄関に当たる駅周辺でも申し分のない場所であることを確認することができた。
詩碑「旅程幻想」の脇には賢治さんが大好きだった銀どろの木を植える構想を持っており、5月に花巻市社会教育の活動一環としてシニア大学生32名がベルガ―ディア鯨山に研修に来た折銀どろの木を探している話をしていた。
町役場の担当者と現地確認をした翌日、花巻市のシニア大学の担当者から連絡があり銀どろの苗木3本を届けたのだった。何事をするにも相手があり此方の考えるようには物事は運ばないことは分かつているが、いったん動き始めると「えっ」ここまでスムーズに事が運ぶのかと驚いている。後は、詩碑建立の募金不足分50万円がこの調子で集まらないか調子の良いことを想像している次第である。
2013年4月~5月にかけて「宮沢賢治童話展」を森の図書館で開催した。賢治童話展事体は珍しい催しではなく、何か目玉商品になるものが必要だと考えた。
賢治さんが盛岡高等農林学校時代に、標本で見た薔薇輝石が大槌産出だったことを知り、大槌浪板鉱山跡に探索に行き20㎝程の薔薇輝石を見つけた。それを期間中展示し又、チェロと朗読のコンサート等も行い盛会裏に終わることが出来た。
その時以来、その薔薇輝石を磨き大槌の名産品にできないか構想し、研磨機を注文してみたが部品のモータが入荷しないとかで1年以上経過し忘れていた。しかし、ベルガ―ディア鯨山に来た釜石のYさんが「貴金属加工で使っていた古い研磨機があるのだが使うならあげるよ」と言うので、軽トラックで行き貰って来た。集塵機付きの研磨機で、重いだけでなく手入れをすれば立派に使える物だ。
早速、研磨機の砥石部分を交換した。なかなか良い、後はバフ部分を交換すればOKだ。只、軸サイズが1.3㎝で砥石の穴サイズが1.27㎝のため丸ヤスリで削って軸に収めた。バフに関しては多少の弾力があるので問題はないと思う。
今度時間を作り、砥石の粒度の違う手持ちのグラインダーと合わせ、研磨のテストをしてみようと思っています。うまくいったら次回報告します。
写真中央鈴木東蔵工場長と宮沢賢治と砕石工場に働く人たち
東山町にある宮沢賢治詩碑「まづもろともに」
梅雨入りしてから雨が降らず、ガーデン作業がはかどりツアー報告が遅れていましたが、ようやく雨の日になりPCに向かうことが出来ました。
梅雨の時期で、東山町へのツアーは天候が心配されたが好天に恵まれ、楽しい1日を過ごすことが出来た。
東山町の東北砕石工場と言いますと、賢治が昭和6年春から技師として働き始めたこと 、火山性特有の酸性土壌の改良に石灰を利用して農産物の収穫を図りたいという強い意思が働いた。その激務の為その年の秋に出張先の東京で倒れ、その後花巻で病床に伏すことになった。その年の11月に手帳に記されたのが「雨ニモマケズ」だった。
昨年からの各市町村宮沢賢治関係者、団体と交流連携する中で地元の者でなければ分からない情報を掘り起こし、その企画を基に賢治フアンを交流人口拡大につなげたいとする我々大槌宮沢賢治研究会の想う成果が今回の交流でもあつたのではないだろうか?
まず写真上の採石場の人達の人形だが14人の人形体があるが、1人は全く関係ない人物がいるのだそうです。人形を作る時に自転車で魚の行商に来ていた男が(右から2人目)紛れ込み砕石工場作業者として陳列されている。
鈴木東蔵工場長の長男、鈴木実さんが陸前高田高校校長の時、谷川徹三氏が揮毫された「まづもろともに~」を碑銘板にしていること、今年、東山町の詩碑が建立70周年を迎え、徹三さんの息子の谷川俊太郎さんと孫の谷川賢作さんを迎えて「賢治とともに詩と音楽の世界へ」を記念事業として次の世代のこどもたちに伝えている。
昭和23年12月10日詩碑は建立されている、碑文の揮毫は谷川徹三氏であるが当初、長坂村青年団団長だった鈴木実氏は高村光太郎氏に詩文と揮毫をお願いしに行ったところ筋を通せと大喝され、宮沢清六氏に相談に行き谷川徹三氏を紹介されたということです。その後の徹三氏の揮毫ができるまでに1年程要したこと、出来てきた揮毫には宮沢賢治の名前も谷川徹三氏の書名もなく後日、「宮沢賢治記念のために 谷川徹三 書」と刻まれたこと等。
詩碑建立の為に当時の長坂中学校の生徒たちが砂鉄川から砂利を運び上げた話や土台石を青年団が竿につるして担ぎ上げた様子等知見を得ることが出来た。
それにつけても平成27年9月23日の普代村の「宮沢賢治詩碑祝いの集い」東村山町の「宮沢賢治まづもろともに建立70年記念事業」が町村民一体となつた活動として実行できていることに強い羨望を感じる。町としても予算化し応援したいのでと要望書を出させておいて、「そんなことは言っていない」と白を切る態度の行政とは差がありすぎる、どんな町の復興になるのか思いやられる。
マイクロバスを貸してくれた南部屋産業の小笠原社長、長時間の運転を務めた山崎会員、東山現地で交流してくれた藤野前ミュージアム館長、東山賢治の会の佐藤会長さん方に改めてお礼申し上げます、今後ともどうぞよろしくお願いします。