「風の電話」への応援ありがとうございます

2016年2月11日「報道ステーション時の実況画像です。

3月6日宮城学園女子大学での「語り継ぎ」竹下景子さんの朗読「風の電話」も震災を忘れないでと言う想いが世界に伝わったとおもいます。又、3月10日の「NHKスペシャル」も放映後たくさんの方々から感動した、続けて欲しいと言う励ましのメール、手紙を全国の皆さんから頂いております。こちらの方が感動する内容のものばかりです。

3月12日水戸市総合福祉会館でのNPO法人ポルターモの「未来への一歩~人と人のつながり心と心のつながり~」。震災から5年・・・復興への想いを語りと音楽でつぐむコンサートは、被災者の皆さんを決して忘れない、更に、「生」を受けた全てのものが、未来への第一歩を踏み出せるようにとした想いを歌と語りで表現したものです。

悲しみ、苦しみをそこでとどまらせずに乗り越えていくには、何でも良いから自分の意志でそれを実行してみることです。自分の意志で「風の電話」に来るのも良いでしょう。来たいと思うことこそグリーフから抜け出す一歩になり、意識の向け替えが可能となり未来を見ることができると考えます。ポルターモの活動にもそれが強く感じられました。今後、益々良いステージを期待しています。

大震災から5年を経て、「風の電話」を訪れる方々の想いも変化が感じられます。

一日でも早い意識の向け替えができることを祈念しています。

風の電話をテーマに各地で催し

皆さん今日は、しばらくぶりですが元気に活動していましたか?。私は昨年の12月体調を崩し休養を取らざるを得ませんでした。もうだいぶ良くなっていますのでご安心下さい。

さて、3月11日で東日本大震災から丸5年目を迎えますが,未だに19万人以上の人が避難所生活を余儀なくされています。

オーストラリアの精神科医ビバリー・ラファエルは、その著書「災害が襲うとき」の中で災害の被災者にとって「忘れ去られる」ことが最大の危機であると言っています。被災者のなかにはまだ忘れ去られるべきでない生活を送っている人達が大勢います。その人達に今一度想いをかけ、想いをはせていただきたいものです。

一方、忘れないで皆さんに寄り添っていますと言う活動も各地で企画されています。

「風の電話」関連でご紹介しますと、3月6日宮城学院女子大学にて、東北大学災害科学国際研究所/宮城学院女子大学/かたりつぎ仙台実行委員会/復興支援コンサート実行委員会主催の「かたりつぎ」朗読と音楽の夕べ。

3月12日茨城県総合福祉会館コミュニティホールにてNPO法人ポルターモ主催による復興への想いを語りと音楽でつむぐコンサート。

3月10日NHKスペシャルにて「風の電話」午後10時から放送。

などが有ります。お近くと時間がある方は是非ご覧下さい。

絵本「かぜのでんわ」が発行される

絵本作家のいもと ようこさんの本といえば、多くの方が一度や二度子供に読んであげたか、子供のとき読んでもらったことがあると思います。

その、いもとさんが金の星社の編集者を通じて、「風の電話」の絵本を出版したいと承諾を求めてきたのが昨年の6月25日。それから7ヶ月半、その間、原稿を2回見せていただいきました。そして今月、2月14日に「発刊されたので送ります」との連絡をもらいました。

15日の午前中、当日は、大雪警報が出ているにもかかわらず、必ず荷物は届くものと待っていました。待ちに待った作品がようやく届き早速開けてみた。なんともいわれぬ新しい本の匂いと共に「風の電話」が約3年の歳月を経て、絵本という形になったという感動が湧き上がってきました。

大切なひとを亡くしたり、あるいは会えなくなったひとに想いを伝えるという目に見えない、耳には聞こえないものも心のインフラとして必要なのだとする私の思いを理解し、絵本という形にしていただいたいもとさんと金の星社また、編集者の斉藤さん、全国の「風の電話」に共感していただいている皆様に心から感謝いたします。

なお、絵本「かぜのでんわ」の原画展を次のとおり、ベルガーディア鯨山「森の図書館」で開催します。いもと ようこさんの貴重な原画を見ることのできる、またとない機会です。ぜひ足をお運びください。


『かぜのでんわ』絵本原画展のお知らせ

開催期間:2016年4月20日(日)~5月18日(日)

開館時間:10時~16時(月曜休館)

入場料 :無料

ベルガーディア鯨山の「地の神」さん

16年前、この土地に住みはじめて間もなくのころ、誰か忘れたが「その土地とちには地の神さんがいるものだ」ということを話す人がいました。

それなら自分の土地の神様にはゆっくり休んでもらおうと石の祠を2個買い求めました。1つは、鯨山(標高610m)にある京都は八坂神社牛頭天王を祭っていると言われる場所へ納めました。

今まで深く考えずに気付きませんでしたが、なぜ鯨山に牛頭天王が奉られているのか?鯨山の名前の由来を辿れば、そこには昔疫病が流行し、大槌で獲れる鯨の肉を食べると病気に効くということで隣町の山田から民衆が「鯨くじら」と言いながら山を越えて来たといいます。それでその山を鯨山と呼ばれるようになったといわれています。その頃に疫病の神さまといわれる牛頭天王をそこに奉ったのではないかと考えられます。

当時その場所は、大きな岩(3メートル四方)の上に岩の欠片のような石が3枚だけありました。鯨山の電波塔まで車で行き、そこからネコ車に祠を積み設置したことは今は遠い思い出です。

もう1つの祠は、我が家の裏庭の一隅(当時は我が土地で1番高い場所)に手で動かせる程度の石を集めその上に祠を据えました。以来そのままになっていましたが今回、「木っ木の森」に散らばっている石を集め、コンサート用のステージを造ろうと思い立ちました。

小さなバックホーで作業はじめたのですが、200kgぐらいの石を動かしているうちに「待てよ、まづ地の神さんの祠を見栄え良くしてからだ」と考え直し、先に神さまのお休みどころをリニューアル完成させたのです。

工事の最中、これも以前造って置き忘れ、小石に埋もれていたお地蔵さまが出てきました。「今までそまつにして申し訳なかった」と良く見ると・・・・・なんとお地蔵さんのその格好が五郎丸の例のポーズそっくりで、驚くとともに新たに居場所を確保し、謹んで据え付けいたしました。

ひとつの行動がいろいろ連動していき思わぬ驚き、感動に繋がることは良くあることで、毎日生活していて楽しくまた、生きている喜びに感謝している今日この頃です。

海のない岐阜との「縁」

去る11月20日、岐阜県大野町のばら生産農家、青木宏達さんを訪ねました。今年の3月に「アンネのバラ」の苗木を贈ってくれたお礼と感謝の気持ちを伝えるためです。贈られたバラは、「風の電話」の前に植えられ花をいっぱい咲かせ、電話に来る方がたの心をやさしく癒しています。

又、アンネ・フランクと同じように逆境に負けない強い気持ちを、被災地の皆さんに無言のうちに語っている様子などをお話ししました。

青木さんは、県ユネスコ協会の会員で30年前からオランダからユネスコ協会を通じて来た1株を途絶えさせまいと、接木をして育てています。今まで200株以上各地に贈っていると言います。しかし、その後はどうなっているのかはほどんと分からないといいます。

今回の対面は、岐阜中部学院大学のシンポジュームでの講演依頼された事により、バラ苗を届けてくれた岐阜市のカメラマン、三浦寛行さんに連絡を取り実現したもので、バラが架け橋となり、新たな出会いが生まれました。

又、5年目を迎えようとする今でも被災者の現状を把握し、必要な物費を集め三浦さんに届けてもらっている、金森貴彦さんという床屋さんの存在も知ることができました。シンポジュームもさることながら、青木さん、金森さんにお会いできたことに、この地にも宮沢賢治の精神である「誰か他人のために」を実践している人がいると深く感動いたしました。

講演の中でもご紹介しょうと思っていましたが、時間オーバーとなりストップがかかり、後ははしょって〆てしまい紹介できずじまいになりました。この場をお借りして皆さんにお伝えいたします。