宮沢賢治は農民芸術概論綱要の中で、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言っていますが、理念としては異論はありませんが、それは抽象的な理想像か? なぜなら、幸せの感じ方は個人によって異なります。世界全体の幸せ感をどう捉えたら良いのでしょうか。 私の場合、身近な例えですが草花の「三時草」が植木鉢の中で一杯になり、水を掛けても土に浸透しない程の密植状態でした、花も4,5輪しか咲きません。今年一回り大きな鉢に植え替えてやったところ花が二十輪も咲き誇り、喜んでいるのが分かりました。それを見て私は幸せを感じたのです。 又、「風の電話」に見知らぬ国から訪れた人が「なんと美しいところでしょうか」「心の行き場のない人たちにとって必要な場所です。これからもずーと維持して下さい」などと言われると感動と共に深い幸せ感に包まれます。 私の年のせいもあるでしょうがもう何も欲しいものは余り見つかりません。「風の電話」を訪れた人たちの心が「癒され」 「救われた」と「ほっ」とした喜びの表情に触れた時に感じる幸福感は何物にも代えられないものです。 人それぞれの幸せを語る時、その人が何を考え、何をどう行ってきたかが現れると考えます。 人間の一生は約80年前後と長い期間がありますが、草花は1年と短い。それだけに育てる人のおこない(お世話)の結果が即、草花に表れます。人の場合、その人の行いがすぐに表れるのでなく徐々に結果として現れ、「なんで自分がこんな目に合わなければないのか」と憤ってみても、すべて自分の行いの結果であると認識しなければならなりません。従って、何をどのような状態を幸福と言えるか一人ひとり違うのが当たり前であり、世界全体をまとめることなど出来ないと考えます。皆さんは何を幸せと感じるでしょうか。
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