7年前のあの日

7年前のあの日、多くの人たちが犠牲になった。誰も望んで亡くなった人はいないだろう。もっともっと何とかして生きたかったはずだ。だから最期の最期まで生きる努力をしたのだろう。しかし、叶わないと知った時、家族の無事を祈って逝ったと思う。また、遺された家族も最後に一言、言葉をかけてやりたかったはずです。しかし、その願いも叶わず一人旅立たせてしまった。

なぜ、臨月まじかの妊婦が犠牲にならなければないのか。なぜ、生後間もない赤ん坊が母親の手から奪われなければならないのか。なぜ、結婚式をまじかに控えた二人が波に飲み込まれなければならないのか。なぜ、ランドセルを背負い入学式を楽しみにしていた子供が犠牲にならなければないのか。なぜ、家を新築し鍵の受け渡しをしたばかりの人が犠牲にならなければないのか。それぞれの人たちは幸福の絶頂にあったのだが一瞬でその幸せが奪われてしまった。

あの日、町が壊滅状態になった。多くの遺体が仮安置所に並べられた。寒い年で路地の草花もまだ咲いていなかった。安置所でブルーシートにくるまれた遺体は何の供養もされないままただ並べられていた・・・・。2週間後ぐらいに寒さに首を縮めたような花丈の短い水仙がガーデンに咲くようになった。コップに水仙数本とネコヤナギを入れ、妻が安置所に置いた。3:11が来ると水仙の花と涙と共にあの日を思い出す。