薔薇のシーズンはじまる

今年の薔薇のシーズンは例年に比べ3週間ほど早い。いつもは梅雨にかかり、充分開くことが出来ずに腐ってしまうフラウ・カール・ドルシュキー今年は見事に純白の大輪を多数開花する。

昨年購入したモナリザこれも黄色から薄ピンクに変化する花を沢山つけ微笑んでいる。何よりもその香りのすばらしさ。その他、紫がかったピンクのセンテッドエアー、アンドレ・ル・ノートル、ヘリテージ、ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ、つるサラバンドなどが見事だ。

これからは、中間咲き、遅咲きのロンサール、ピースなどが待ちどうしい。

又、3月に岐阜より届けられた「アンネの薔薇」と「夜来香」の二本の薔薇ですが5月25日頃より開花、現在沢山の花を咲かせています。薔薇農家の青木さんの努力が被災地大槌でも花開いております。被災地の多くの方々にアンネ・フランクの「逆境への強さ」「強く生きねばならない」ことを改めて感じさせてくれることでしょう。

5月は12日の日蓮宗池上本門寺でNVN活動総会の後、30日の恵泉女学園大学でのスプリング・フェステバルでチャペルでの講演会と続き疲れからか夏風邪をひてしまった。

しかし、この時期は野菜の植え付け、草刈、鉢物の植え替え、畑の草取りと朝から晩までからだを動かしても時間が足りないほどで鼻水を垂らしながら綺麗な花の間を動き回っています。

今週の7、8日は都合によりベルガーディア鯨山はお休みとさせていただきます。

「風の電話」がつなぐヴァイオリンコンサート

5月20日午後2時、「風の電話」を背景にヴァイオリンソロによるアメージンググレイスが薫風に乗って流れた。

日本フィルハーモニー交響楽団の人気奏者である松本克己さんである。去る、2月25日静岡で行われた講演会とその後ヴァイオリンコンサートでお会いしたのが初めてでした。

盛会裏に終了した後、懇親会が静岡ボランティア協会により開催された。お酒が入りすっかり打ち解け約束したのが「風の電話」を訪れ演奏することでした。多忙を極めている奏者ですので「まさか」と思っていたのですが、今回「愛とヒューマンのコンサート委員会」今野 強代表の計らい実現することが出来ました。松本さん、今野さんその他の関係者の皆さんありがとうございました。

このほか野外での演奏は「この道はいつか来た道」の2曲、その後は「森の図書館」でエルガー愛の挨拶、クライスラー「愛のかなしみ」「愛のよろこび」、ドヴォルザーク「ユーモレスク」、シューベルト「アベマリア」等でした。

浪板海岸に芝生の子供遊び場づくり

5月23日気温29.6℃,炎天下の中100人を超える人数が芝生張りに汗を流した。浪板プロジェクト主催の活動であるが芝生張りの指導を頼まれ指揮を執った。下準備に砕石を取り除き、黒土に入れ替えを業者に依頼したようだが、石だらけで石の除去からのスタートとなった。

下準備が一番大切なのだとほとんどの人数で土を掘り返し石取りをおこなつた。女性の中にはマニキヤをした素足にサンダル履きで張りきる人、万丈籠で土を篩いかけする人もいて男女協働の土方作業となつた。芝生張り、目地土いれ、芝生押さえの竹釘打ち等一連の作業で250平方メートルを約3時間あまりで完成させた。

その結果、出来ばえは写真のようにすばらしいものとなった。子供達がここで遊び、その思い出を大人になっても語りつがれる場所になって欲しいと願うばかりである。

風の電話にリンゴが?

東日本大震災から5回目の彼岸を迎えました。18日は私達も墓参りをしてきました。

釜石での用事を済ませ、夕方に帰宅して電話ボックス内の掃除、日めくり等一連の仕事をしようと扉を開けたとたん、赤と黄色のリンゴが目に飛び込んできました。誰が置いたのか、ノートをめくってみてもそれらしい記述はありません。5年目にして初めてのことで少々しんぱいになりました。

しかし、翌朝、こんどは花束がおかれていたのです。今までも早朝誰かが来た様子はあったのですが花束が置かれたのも初めてです。

風の電話を利用する人の心理として、人目を避ける傾向にあることは理解していました。

ですから出来るだけ「団体客、観光客には遠慮してほしい、本来、必要とする方がたが迷惑する」と言ってたのですが・・・・・これほど心を痛めている人がいたことを改めて思い知らされた気がします。5年目を迎え自分自身が震災当初の気持ちを維持出来ていないと気付かされた一件でした。

アンネのバラ「風の電話」に

アンネのバラは、第2次大戦中にユダヤ人強制収容所で亡くなった少女アンネ・フランクを悼み、ベルギーの育種家がつくった。

アンネの父オット・フランクが1972年、奈良県の牧師に贈ったのが日本でのルーツ。その後、京都府の元高校教諭が息子と栽培して全国各地に送り、広まった。

岐阜県には約30年前、ユネスコ協会を通じ、大野町のバラ農家青木宏達さんの元に苗1株がやってきた。「作り続けないと途絶えてしまう」。と青木さんは接木で年10本ほど育てている。

昨年、写真家三浦寛行さんが風の電話を訪れた際、「逆境に耐えたアンネゆかりのバラ」アンネのバラの話しを聴き、「大切な人を亡くして電話ボックスを訪れる人達を勇気づけられるのではないか」と思い三浦さんに仲介をお願いした。青木さんも「バラの花が、訪れる人々の癒しになればうれしい」と苗を三浦さんに託され、今回(15日)風の電話を訪れ、手渡されることになつた次第です。

皆さんの努力で又ひとつ、心の復興のキッカケとなるアイテムが揃ったことに深く感謝いたします。ありがとうございました!