修理3日目

風の電話修理も、残す作業はアクリル板はめ込み前の塗装と屋根の割れたスレートの交換だけとなった。

修理3日目の今日は、新しく作った扉とBOX本体の塗装、ペンキ塗りです。

風もあまりなく、何とか一人でもいけそうです。まず全体にサンドペーパをかけ塗装の剥げた部分を取り除き正面を滑らかにします。しかし、これが大変な作業であり、また仕上がりの出来ばえに影響する大事な作業です。ペンキはムラをなくすため2度塗りをしました。したがって出来ばえは皆さんのはげましに答えられるものになったと思います。

どうぞ今度来た時に笑ってやって下さい。

今回の事件で、全国の皆様方より修理の募金をしたいとの問い合わせが多くありましたがボランティアの皆様のお陰さまで、僅かな材料代で済みそうですのでどうか心配なさらないようお願いいたします。尚、ベルガーディア鯨山では活動支援金の協力をお願いしています。

銀行口座:ゆうちょ銀行
店  番:838
口座番号:1938776 (普通預金)
名  義:ベルガーディア鯨山 佐々木 格(ササキ イタル)

修理2日目

2日目、港さんは自宅のほうで午前中かけて扉の製作をしました。

前日には「これ程立派には作れないから簡単にそれらしく作るよ」と言っていましたが、私には解っていました。職人という者はそうではないと言うことを。

もし誰かが作った物を修理することになったら、絶対それに劣るものは作りたくは無く、同等かもしくはそれ以上の物を作ると対抗心を燃やすはずと妻に話していました。午後になり港さんが扉を持ってきたとき、言ったとおりだろうと得意顔になりました。扉の格子を簡単に角材で作ると言っていたのに出来てきた物はルーターで角がきれいに化粧の面取りされており前のものと同じにように加工してありました。

後は天候を見てペンキ塗りをしアクリル板のくるの待ちセットする。屋根のスレートを葺き替えすれば完全です。1月15日ごろの完成となるでしょう。

昨日、港さんの行動を宮沢賢治の理想とした生き方にたとえ紹介しましたが、風の電話の倒壊を発見したのが2015年1月8日。賢治が1925年(大正14年)1月5日に花巻から夜行列車にのり翌早朝八戸に着き、更に久慈まで列車でそれから発動機船で宮古まで行きます。宮古からは1月8日午前0時発の三陸汽船で山田湾船着場に1月8日朝2時30分に着き、下船する。

・それから船越四十八坂、浪板の牧場を通る浜街道を歩いて大槌に来て小鎚川の河原で休む。その時「旅程幻想」の詩を詠んでいます。

・山田か大槌で下船したかは定かでないが「旅程幻想」で賢治はいくつもの牧場を越えてきたと詠んでいる。又、大槌の白石船着場で下船したとすると小鎚川の河原は余りにも近すぎる。

解りましたか。90年の時を経て1月8日宮沢賢治さんが大槌に関係を持ったことになります。一昨年ベルガーディア鯨山では「宮澤賢治童話展」を開催し、期間中の5月3日には賢治記念館の牛崎服館長を招いてチェロと朗読のコンサートを行いました。昨年12月からは大槌中央公民館で「宮沢賢治イーハトーヴォと三陸海岸」を開催中です。1月10日には宮沢賢治詩の朗読会が開催され感動を新たにしました。さらに期間中に賢治に関する講演会を開催し、大槌宮沢賢治研究会(仮称)の発足を目指しております。そこの活動を通じて大槌の地に賢治の詩碑を二基建立したいと計画しています。

今回の出来事は、単なるこじつけの偶然ではなく時空を超えた賢治さんに対する想いが通じたのではないかと感じております・・・風の電話ですね!!

修理1日目

1月10日9時ちょうどに修理作業はスタートしました。港建築の社長、港さんは壊れた電話BOXを手際よく使える部分と捨てる部分を切断分離し、木片をビス止めしたり、更に削ったりしながら元の形に修復していきます。

私と遠野まごころネットの二人は港棟梁の指示に従いドリルで穴あけや工具を渡したり、寒い中鼻水をすすりながらお手伝いしました。

後で港さんの奥さんにお聞きしたのですが、風の電話倒壊を聞き、「11日の大震災の月命日には訪ねて来る人もあろうからなんとか本体を立ち上げるところまでやりたい」と言って様子を見に来たのだそうです。ありがたいことです。

震災後、宮澤賢治の雨にもマケズの詩が各地で詠まれる機会が多くなりました。これは震災で家も財産も失ったけれど、逆境にもかかわらず負けないと言う気持ちと、だれか困っている人がいれば行って手を貸してやるという行動にあらわす大切さを言っているのだと思います。港さんは「そんなことは知らないよ」と云うかもしれませんが賢治が理想とする生き方を自然体でしているのかもしれません。

今日1日で本体を立上げ、屋根を乗せることができました。明日は扉の製作と屋根のスレートの修繕に入ります。側のガラスはまだ日数がかかりますが、明日の3時ぐらいには電話、ノート、その他のものはセットを終え使えるようにはしたいと思います。

「風の電話」再建できる見通し

昨日来、全国の皆様から「大丈夫か」、「再建を支援したい」と50本を超えるTEL、Mail、FAXをいただき驚き又、感謝しています(文章を読ませていただき涙がでます)。

必要として電話に来る人、必要だとして再建を支援したいと云う人、これほどの社会性を持ってしまった風の電話。ほうっておくことは出来ないと取り合えず鍛冶工房に仮置きしましたが、それらの心配を吹き飛ばすできごとが起きました。

NPO法人「遠野まごころネット」の皆さんと、壊れた風の電話BOXの片付けをしている最中でした。以前、母親を津波に流され未だに行方不明になっている隣町、山田町の港さん。風の電話を3度ほど利用していて顔馴染になっていました。その港さん、奥さんからお見舞いの電話があった後、建築業のご主人がやってきて一目見るなり「修理できる、明日から始めるから」と云うではないですか。

「今度は、基礎に直接BOX本体を載せるのでなく、土台をまわしてその上に設置すれば腐ることも防げる」。木製での再建は諦めていたのに力強い言葉に、片付け作業をしていた全員がほっとした瞬間でした。

取材に来ていたテレビ、新聞の記者達もそれでは明日もまた来ます。皆の顔がほころんでいました。

「風の電話」強風で倒壊する

会えなくなった大切な人へ、想いを伝える「風の電話」。昨年暮れまでに1万3千人の利用者を数え、多くの皆様の心のよりどころとして、ただそこにあった風の電話が昨日の強風で倒壊してしまいました。

確かに昨日は、正午ぐらいから恐ろしいほどの強風が吹き荒れ、日中の気温も-3℃という状況でした。それでも鍛冶工房で片付け作業をし、夕方4時半頃には電話BOX内の整えと、日めくりをして家に入りました。この時までは健在でした。今朝になり、何気なく見た景色に電話BOXは無く無残に散らばっていました。

瞬時に想いは、必要あって電話に来る人にこの無残な姿は見せられないということでした。心にグリーフを抱えた人がこの状況を見たら癒しどころか益々グリーフが強まってしまう恐れがある。早く片付けなければということでした。

しかし、その前にこの風の電話をいち早く取り上げた記者にだけは連絡するのが礼儀だと思い電話をしています。記者もすぐに来て、昼の電子版にアップしていました。

壊れた原因の第1は、やはり強風(瞬間26.9m/毎秒)でしょう。次いで、元々電話BOXは屋内用の物に屋根を取着け屋外で使用しているため、基礎に触れている木部分が腐食気味になつていたこと。第3に高台移転、三陸縦貫道工事による森林の伐採で自然環境の変化等(風の動き)が推定されます。

以上のことから取れる対策は、屋外用のアルミ製の電話BOXに置き換えることだと考えますが・・・・・・・となると・・・・・・・・・・うーん。

アルミ製の電話BOXについては製造元、費用等を確認しなければ再建についてなんとも答えられませんのでしばらくの間時間をいただきたいと思います。

いち早く片付けの「お手伝いします」と遠野まごころネットの臼沢副理事長から電話があり、明日手伝ってもらい電話BOXの移動することにしました。それから家の電話が鳴りっぱなしの状態でした。インターネットを見たテレビ、新聞社の取材申し込み。団体、個人のお見舞いの等々。社会性の大きさを知らされました!「自分が倒れてもこのような状況にはならないだろうなー・・・・・・・」。

今後のことは、昨日の今日でありまだ何も決められない状況ですが、只いえることは今も電話を必要とする方が何人か訪ねて来ますので、仮の電話設置場所を確保しなければと言う思いです・・・・。場所には充分注意を払わなければなりません。近くに「森の図書館」がありますが、心のケアの場合他人と頻繁に接触する場所は適切ではありません。そこで、昨日来片付けをしてきた鍛冶工房を仮の風の電話場所にすることにいたしました。

当分の間、不便をかけると思いますが様子を見てみたいと思っています。