しばらく振りのモノ作り

長年の懸案だった作業用道路の門扉を自作することにした。長い間ぐずぐずしていたのは間口が6,5mとバカでかいものとなること、また設置面が傾斜していること、見合う材料が手に入るか不透明なこと(田舎は手に入れにくい)等々。半ば、自分らしくもないブルっていたのだ。

それを作ろうと思い立ったのは、時間構わずの不法侵入者が多いからだった。人、鹿、タヌキ,キツネ、猫、特に人間様は朝7時前からウロウロしていて隣家の犬がワンワン吠えまくる始末で、近所迷惑にもなっている為だった。

かって、焼却炉から拾っていた鉄製の柵で部分的に腐っていたものを切り取り新しい型材で補修修理し、ペンキを塗り直し、距離が長いため途中で支柱を立て段差をつけながら3m程を作り、一部普段の出入り口用にの開閉扉とした。

問題は不定期に出入りする車のための門扉だった。この部分は拾ってきた鉄柵ではなく、新たに作らなければならなかった。 長さ3m鉄を加工して作れないことはないが、重さで支柱が持たないだろうと考え木製にすることにした。 ホームセンターで2×4材12フィートを3本買い、寸法取りしてペンキを塗る。もちろん鉄と同じこげ茶色だ。これで鉄だか木だか分からなくなった。間の柵はこれもありあわせの塩ビを使い白の塗装をした。

トラックが出入りする時のために木製と鉄製の間の支柱は抜き取ることが出来るようにしてある。そして、門扉を開けると4mの空間が出来トラックの通行も可能となる。後は、門扉の開閉のための駆動部と ロックを兼ねた取っ手を「地図にない田舎」に備えてある鍛冶工房で制作(村の鍛冶屋も久しぶり)、電気溶接と合わせ完成させた。

最後に普段の出入りごちの上部に飾りをつけオシャレ感を出してみた。

出来栄えはどうでしょうか?以上で製作日数11日間、費用はしめて1万5千円程でした。(鉄材は全てストックしていた材料を使用する)

マザー・テレサと風の電話

最近、難病やガン末期の現場で盛んに用いられている終末医療。ガンという困難な病気に直面し、生きることそのものに疑問を持ち、人生の意味や死の恐怖、死後の心配などについて苦しみを抱え患者を苦しめている臨床の場に、医師やケアに当たる方々と患者の近親者が一緒に参加する緩和医療が持ち込まれるようになった。

マザー・テレサは、「死にゆく人は生きている者の世界から排除され、隔てられるという不安と恐怖を感じ孤立する危険がある。その不安を少しでも軽減するためには、その死を受け止める役割をする人が必要です」と「死を待つ人々の家」をつくり、どんな人間でも誰かがその死を受けとめる役割をすることを行動で示した。

「誰かに別れを告げることで死にゆく者は、この世に存在していたという認識を得て誰かに何かを引き継ぐという再生の希望を得ることが出来る」と語る。

この様にマザー・テレサは死にゆく人たちの不安や恐怖を取り除き、穏やかに安心して死を受け入れられるように、「死を待つ人を対象とした」寄り添いを実践した。

災害、事故、自殺等の場合その死はある日なんの前触れもなく突然に訪れる。

長い闘病生活の末亡くなるのと違い、自らの人生の振り返りも夢や希望の検証も、また残される家族に対する今後の生活の心配を考える間もなく逝ってしまう。それだけに亡くなる当事者も、後に遺された遺族も伝えたかった想いが沢山あるだろうと思う。しかし、想いを伝える相手はもういない、何処へも持っていき場の無い悔しさと怒りの混じった悲しみだけが残ることになる。

私は、従兄がガンになり皆に看取られながら死を迎えた終末医療の「場」と、東日本大震災で突然に大勢の人が不慮の死を遂げるという、両方の死に至る状況をほぼ同時期に体験した。

従兄(武川博久)は4歳年上で享年69才、趣味で書道と合気道の師範をしていた。子供の頃より一緒に遊び、兄のように慕っていた。2009年、彼がガンを患い余命3カ月を宣告され闘病生活を送っている時、人の命の儚さということが脳裏から離れることはなかった。

人は生まれてから死ぬまでおよそ80~100年、これを短いと見るか長いと見るかは人により受け取り方が異なるだろう。しかし、人が生きている時間と亡くなってからの時間を比べた時、亡くなってからの方が断然長く、永遠に続く時間がある。ならば、生きている間だけの「絆」ではなく、亡くなってからも「絆」を保ち続けることが重要な意味を持つと考えた。

「風の電話」の構想はこの時点で出来ていた。そして、この意識を大切にするために詩「風の電話」を創った。


「風の電話」

佐々木 格

人は皆過去を持ち

現在があって未来がある

又その時々に出会いがあり別れがある

風の電話はそれらの人々と話す電話です

あなたは誰と話しますか

それは言葉ですか文字ですか

それとも表情ですか

風の電話は心で話します

静かに目を閉じ

耳を澄ましてください

風の音が又は浪の音が

あるいは小鳥のさえずりが聞こえたなら

あなたの想いを伝えて下さい

想いはきっとその人に届くでしょう


一方、震災では誰も望んで亡くなった人はいない。突然の出来事に成す術もなく津波に飲まれた人、必死で逃げようとしたが避けきれなかった人、その経緯は様々だが、犠牲になった皆さんはもっともっと生きたかったはずだ。なんとか生きようと努力をしたことだろう。しかし、それが叶わないと知った時、家族の無事を祈ると共に、伝えたいことが山ほどあったことに悔やんだに違いない。「生きたいのに生きられない、伝えたいのに伝えられない」この気持ちを推し量る時、その無念の想いを何としてもつなぐことが必要だと強く思った。

また、遺された家族にしても、もう会えないと分かっていたならもっともっと語り合い、お互いをより理解し、たくさんの思い出を創っておけばよかったと‥‥。しかし、亡くなった人はどんな努力も、どんな手段を持つてしても戻っては来ない。話すことも遊ぶこともできない。自責と後悔の思いが渦まき思考が混乱し、実生活からの様々な要請に現実感が無くなり自分を見失ってしまいがちになる。

人が生きていくためには希望の光を見いだすことが必要となる。亡くなっても心を通わせあうことが出来る、いつも身近にいてつながることが出来るという希望を見つけることが出来たなら、生きていく上でどれほど力づけられることだろうか。また、遺された人たちが死者に寄り添うことで、自分が生者として今を生きていることを実感されるはずだ。そして、亡くなった方が自分を見守ってくれているという安心感が大切な人を失った悲しみから遺された方々を癒してくれるはず。想いをつなぐということはそれ程大事なことであり、命の重さや命の尊さに気付かせてくれることにもなる。この様な考えのもと「風の電話」-は死にゆく人ではなく、亡くなった人に遺族がが想いをつなぐことで生前と変わらぬ絆を維持でき、悲しみの絶望から希望を見出し新たな生活の再生を得るという、遺族への寄り添いなのだというところがマザー・テレサの「死を待つ人々の家」の活動と異なるのである。

「風の電話」は感性と想像力の産物

今の世の中は効率を重視するあまり、結論を早く出そうとする傾向にあるのではないでしょうか。目に見えるもの、耳に聞こえるものだけに価値を置き、それを基準に結論付ける傾向が見受けられます。

しかし、目を閉じ耳を塞ぎ想像力を働かせると、見えないものも観え、聞こえないものも聴こえてきます。自分の考え方が心にはっきりと見えてきます。

現代人のように豊富な知識と技術の発達している時代だからこそ、感性を磨き「心で観る、心で聴く」ことが大切になつているのではないでしょうか。

本当に大事なものは何か、本当に必要なものは何か、本当に伝えていかなければならないものは何か、想像力を働かせ多方面から物事を考えることでその本質が見えてくること、「風の電話」を通して感性を育み、想像力を育てることの大切さを考えています。

「風の電話」の公共性

2019年9月、「風の電話」を含む周囲の環境が第4回国際パブリックアート賞を受賞しました。(パブリックアートとは、公共空間の芸術作品のことを言います。世界を7ブロックに分けそれぞれのブロックで受賞作品が決まる。昨年の表賞会場は北京大学でした。)

「風の電話」のあるベルガ―ディア鯨山は、何時でも誰でも利用できますが、公共空間と云いましても駅や空港のような全開訪的な場所とは異なり、ある種の制約が内在するものと考えています。

それは、「風の電話」自体が何らかの喪失感を抱えた方々が対象であり、想いを伝える間もなく会えなくなった人に想いを伝え、心の重荷を軽減し再び生きようと意識の向け換えを望む方々が訪れるところだと思っているからです。そして、その方々が「風の電話」という「場」の力を体験することにより本来持っているご自身の生命力を取り戻し、自分が主体的に行動することを促していく処なのだと考えています。従って、観光客やその他の人たちの利用は、喪失感を抱えた方々への共感や、「生と死」について考えを巡らせる機会にはなったとしても、一般的には”遊び”の要素が強くその場にいて欲しくない存在なのです。

グリーフを抱えた人たちの心情として、自分の悲しむ姿を他人に見られたくない、哀れみを受けたくない、同情されたくないという心理が働きます。それを無視した「何時でも誰でも」であっては本来必要とされる人たちは避けるような傾向になるでしょう。「風の電話」はそうならないように観光情報を制限したり、電話ボックスの場所、配置、環境等々細心の注意を払い運営されています。

「風の電話」の公共性とは、目を閉じ耳を塞ぎ想像力を働かせ、各自が考えて判断していただくことなのだと思います。

「風の電話」癒しと再生への論理

「風の電話」が何故に癒しと、生命力の回復につながるのかという皆さんの疑問について、私は次のように考えています。

大切な人、愛する人を亡くした時、皆さんも含め世界中の誰もがその喪失感に悲しみを味わいます。これは何時の時代でも、どこの国でも変わらず同じように悲しみを抱えるという普遍的な感情であり、一つの法則みたいなものがあると考えています。

それは、人は皆「人生という物語を生きている」のだと言うことができます。

人は皆人生に夢とか希望を持って生きています。そして、それらを実現することに努力し感動もします。しかし、実現するまでの間それは夢であって現実ではありません。と云う事は、フィクション、作り話なのです。虚構です。ですから物語なのです。

物語の途中でそれを構成しているメンバーが亡くなり欠けてしまうと物語が続かなくなります。夢も希望もストップしてしまい絶望感を感じます。また、大切な人が亡くなることは、「人は他人によって生かされている」という概念から、自己存在の意義が失われ人生に虚しさを味わいます。従って、癒しには新しい自己存在の関係を見つけることが必要となります。それには、感性と想像力で新たな人生の物語を紡ぎ直す作業が必要です。

人間には、失われたものを回復させようとする精神の営みがあり、癒しには再会できる、再びつながれるという物語が必要となります。「風の電話」による自問自答は、それまでの物語の振り返りと新しい物語の創出に繋がります。つまり、線のつながっていない電話で自分自身に語りかけることは断ち切られた日々を一瞬でも取り戻すことになり、何が悲しいのか、何が辛いのか、何が苦しいのか自分の思考を整理することになります。いわば自己の発見であり、自己意識が言葉という形で現れることになり、遺された人は物語の新たな展開を意識しなければならず、それが生きる力を生み出し、絶望から希望へと意識の向け換えを促し、悲しみを抱えながらも新しい人生を生きるという再生につながっていると考えます。